15.2.15
主の息吹を受けよ
エゼキエル37:1-14
「リバイバル」という言葉には「生き返らせること、復興、再生」という意味があります。
この言葉は、過去の文化が再び盛んになる時に使われますが、
キリスト教でも「信仰復興」という意味で使われています。
クリスチャンの信仰が再び熱く燃やされ、多くの人々が信仰を持つようになることです。
私たちの霊的な状態は生き生きとしているでしょうか。
1.霊的に干からびた民
エゼキエルは「非常に多くの骨」が「谷間」に散らばっている幻を見ました。
この「干からびた骨」は、イスラエルとユダを表していました。
この時、北イスラエル王国はアッシリア帝国によって、
南ユダ王国もバビロニア帝国によって滅ぼされていました。
イスラエルとユダが滅ぼされてしまったのは、神様に背き、罪を犯し続けて来たからです。
神様は彼らに何人もの預言者を遣わして、悔い改めを迫りました。
しかし、彼らは悔い改めず、偶像礼拝を止めず、あらゆる悪を行い続けたのです。
そのため、神様に裁かれ、アッシリアとバビロニアによって滅ぼされてしまったのです。
その状態は「ひどく干からびて」いて命がなく、生き返る望みのない状態でした。
この干からびた骨の状態は、イスラエルとユダだけのことではありません。
クリスチャンでも神様との交わりが薄れてしまい、霊的な命の供給が止まってしまって、
霊的に干からびてしまっている人たちがいるのです。
クリスチャンが霊的ないのちを失ってしまうと、霊的に無感覚、無力となってしまいます。
すなわち、救いの喜びが薄れ、救われていることを感謝しなくなります。
神様の恵みも神様ご自身も分からなくなり、自分のことだけに忙しくなり、
この世のことに心が奪われ、罪に対して鈍感になり、罪を犯しても平気になります。
形式的、表面的な信仰生活となり、この世に流され、世の人々と妥協的な歩みをします。
今、あなたは霊的にどのような状態にあるでしょうか。
2.聖霊によって霊的な命が与えられる
神様は預言者エゼキエルに干からびた骨に対して、
神様からの息が吹き入れられて生き返ることを宣言するようにと言われました。
エゼキエルは、神様に命じられた通りに干からびた骨に預言しました。
すると、「大きなとどろき」と共に「骨と骨とが互いにつながった」のです。
さらに、「その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった」のでした。
しかし、外見的には再生されていても、まだ「いのちの息」が入っていませんでした。
そこで、神様はエゼキエルに「息に預言せよ」と言われました。
エゼキエルが「息よ。四方から吹いて来い。
この殺された者たちに吹き付けて、彼らを生き返らせよ」と預言すると、
「息が彼らの中に」入り、「彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった」のです。
この「息」とは神様の「霊」、聖霊のこと言っています。
神様はご自身の御霊によって、イスラエルを回復されるのです。
人間は神様に似た者として造られ(創世1:26,27)、塵によって形作られました(創世2:7)。
そして、「いのちの息」すなわち神の霊を吹き込まれて生きる者となりました。創世2:7。
人間は神様の霊によって生きるように初めから造られているのです。
ですから、人間から神様の霊が失われてしまうと、霊的に死んでしまうのです。
霊的ないのちを失い干からびた骨の状態になった人を生き返らせるためには、
神様の霊、聖霊が吹き込まれることが必要です。ヨブ33:4。詩篇104:30。Ⅱコリント3:6。
神様の霊が人に臨む時、その人は新しく造り変えられ、生まれ変えられるのです。
私たちが霊的に生き返るためには、神様の御霊の注ぎが必要なのです。
3.聖霊の注ぎを求める
イエス様は、よみがえられた後、弟子たちに言われました。
ヨハネ20:21。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わしまします。
これは、イエス様による宣教命令でした。Cf.マルコ16:15。マタイ28:19。
そのように言われた後、イエス様は弟子たちに「息を吹きかけて」、
「聖霊を受けなさい」と命じられました。ヨハネ20:22。
イエス様は、天に昇られる前にも、弟子たちに「聖霊のバプテスマ」、
すなわち「聖霊の満たし」を待ち望むように言われました。使徒1:4,5。
聖霊の注ぎを受ける目的は、弟子たちが「地の果て」まで、
イエス様の「証人」となるための「力」を受けるためです。使徒1:8。
イエス様が天に上げられた後、弟子たちはイエス様の言葉に従ってエルサレムに帰り、
聖霊を求め「みな心を合わせ、祈りに専念していた」(使徒1:14)のです。
すると、「五旬節の日」に「天から」の「激しい風が吹いて来るような響き」と共に、
聖霊が彼らに臨み、彼らはみな「聖霊に満たされ」たのでした。使徒2:1-4。
イエス様を信じる者の内には既に聖霊が内住しておられますが(Ⅰコリント3:16)、
私たちが自らの意思によって心を開き、聖霊の更なる満たしを求めない限り、
聖霊が無理やり私たちを満たすということはありません。
イエス様は、私たちにも聖霊の満たしを求めるようにと語っておられます。
そして、神様は求める者に聖霊の満たしを与えて下さるのです。ルカ11:9,13。
パウロもエペソ5:18で、「御霊に満たされなさい」と命じています。
聖霊の息吹を受けた弟子たちは、どんなに迫害されることがあっても、
恐れることなく、生き生きとイエス様の証人となっていきました。
今、私たちの霊的な状態はどのようになっているでしょうか。
もし、私たちが霊的な命を失い、干からびた骨のようになっているのなら、
主は、サルデスの教会に語り掛けられたように、私たちにも語り掛けておられます。
黙示3:1,2。…あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
目を覚ましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。…
私たちが霊的に生き返るためには、聖霊の息吹が必要です。
生き生きとした主の証人となるために、聖霊の満たしを求めましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師