17.3.5

主の栄光を見られるようになろう

出エジプト33:18-19

1.モーセは神様の栄光を見ることを願った

モーセは神様の栄光を見させていただきたいと願いました。パウロも同じ祈りをしていますが、これは、単なる神様への信仰を超えて、私たちが目標とする神様の高さを知って満たされるためです(エペソ3:19)。

2.イエス様の高さにまで成長させられる

すると神様は、神様のあらゆる善をモーセの前に通らせると言われました。神様の善とは、人間とは比べものにならない、最高の義、愛、聖さなどです。その神様の善を見てゆくためには、私たちも成長する必要があるのです。私たちの信仰は未熟であり、木や土の器のようですが、金や銀の器のようになる必要があります(Ⅱテモテ2:20-21)。イエス様を土台として、金、銀、宝石で自分を建て上げていく必要があるのです(Ⅰコリント3:11-13)。

3.成長するには主を見上げ祈る

私たちが成長するためには、主を見上げることが大事です。主に目を向け、心を向けてゆくなら、私たちの目は開かれ、イエス様の御姿にまで成長してゆくのです(Ⅱコリント3:16-18)。
また、私たちが異言で祈るとき、聖霊によって私たちは建て上げられ、成長してゆくのです(ローマ8:26-27、Ⅰコリント14:2-4)。
このように、私たちの信仰が成長し、生活が清められ、品性が清められてゆくと、御霊の実を実らせるようになります。その御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22-23)。このような実を実らせ、私たちの品性が整えられるとき、神様の栄光を見てゆくようになるのです。

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