16.10.16.
互いに愛し合いなさい(2)
ヨハネ13:34-35
イエス様は、新しい戒めとして、「わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われました。
互いに愛し合うということが、どういうことであるのか共に学びましょう。
1.人を大切な存在として認める
「愛する」とは、単に「好き」という感情ではなく、「大切にする」ということです。
ですから、「神様を愛する」ということは、「神様を大切にする」ということであり、
「人を愛する」ということは、「その人を大切にする」ということです。
神様は、私たちを単に感情的に好きだから救って下さったのではなく、
私たちを掛け替えの無い大切な存在として見て下さり、救って下さったのです。イザヤ43:4。
神様は、私たち一人一人を価値ある尊い者として大切に思い、
私たちを罪から救い出すために、イエス様を十字架に犠牲としてささげて下さったのです。
物の価値は、そのために払われた代価によって表されます。
神様は、御子イエス・キリストを私たちの贖いの代価としてささげて下さいました。
神様にとって、私たち一人一人は、イエス様の命ほどに価値があるということです。
現実社会では、人の価値は、「できるか、できないか」、
「持っているか、持っていないか」という基準ではかられます。
神様は、どんな人にも「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している」と語っておられます。
私たちも、そのような神様の視点で人々を見なければなりません。
教会には、色々な人たちが集まっていて、それぞれ多くの違いがあります。
しかし、私たちは、互いに必要としている大切な存在なのです。Ⅰコリント12:14-22。
神様が私たちを大切な存在として認めて下さったように、
私たちも、お互いの価値と尊さを認め、大切な存在として認め合いましょう。
2.人に対して関心を持つ
「愛する」ということは、「関心を持つ」ということです。
イエス様は、この世で無視されるような人々に関心を持ちました。
すなわち、罪人や汚れた者と呼ばれる人たち、見下されていた人たち、
取税人マタイ、ザアカイ、サマリヤの女、遊女、重い皮膚病の人たちなどです。
イエス様は、彼らを愛し、受け入れ、赦しを与え、癒しを与えられました。
私たちも、罪人、汚れた者、取るに足りない者でした。
しかし、神様は、私たちを無視し、滅びるままにはなさいませんでした。
神様は、取るに足りない私たちを選び、救いに導いて下さったのです。Ⅰコリント1:27-28。
神様が私たちに関心を持って下さり、救いに導いて下さったのですから、
私たちは、他の兄弟姉妹に対して冷たく、無関心であってはならないのです。
私たちは、同じ教会にいる兄弟姉妹のことをどのくらいよく知っているでしょうか。
顔は知っていたとしても、その人の名前さえも知らないことはないでしょうか。
無関心であるために、その人のことについて知らないのです。
私たちは、兄弟姉妹の短所や欠点ではなく、長所を見つけ出さなければなりません。
教会の中で、このようにお互いに関心を持ち、お互いの良い点を認め合い、
励まし合うことが出来たなら、愛の溢れた素晴らしい教会となるでしょう。
神様が私たちに関心を持って下さったように、私たちも他の兄弟姉妹を無視せず、
関心を持ち、近づいたり、声を掛ける者となりましょう。
それが互いに愛し合うということでもあるのです。
3.互いに交わりを持つ
「愛し合う」とは、「互いに交わりを持つ」ということです。
「交わり」は、ギリシャ語で「コイノニア」と言い、
「共有する、分かち合う」という意味です。
そして、私たちが共有するもの、分かち合うものとは、
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(Ⅱコリント13:13)です。Ⅰヨハネ1:3。
それによって、お互いの信仰を励まし合い、建て上げ合うのです。
しかし、交わりによる分かち合いは、良いことばかりではありません。
それぞれが抱えている問題や重荷を共に分かち合うのです。ガラテヤ6:2。箴言17:17。
それによって、すぐに答えや解決が得られなかったとしても、
話を聞いてもらうだけで、心の重荷が軽くなるものです。
また、私たちは、共に重荷を負って神様に祈ることが出来ます。
喜びも悲しみも共有する交わりが、クリスチャンの交わりなのです。ローマ12:15。
また、時として自分の罪を告白することが必要な時もあります。
罪の告白と悔い改めは、まず神様に対してなされるものです。
それによって、私たちは、神様の赦しときよめをいただくことが出来ます。Ⅰヨハネ1:9。
しかし、それを牧師や信頼できる兄弟姉妹に話して、聞いてもらい、
祈ってもらうことが必要な場合もあります。ヤコブ5:16。
私たちは、神様の前に、何も隠し事のない、
全てが明らかにされた光の中を歩まなくてはなりません。
そのような光の交わりを通して、私たちはさらに清められていくのです。Ⅰヨハネ1:7。
イエス様が私たちを愛して下さったように、互いに愛し合いましょう。
すなわち、互いに大切にし合い、関心を持ち合い、主にある交わりを持つのです。
互いに愛し合う中に主の臨在が現され、神様の愛が示されるのです。Ⅰヨハネ4:12。
私たちが互いに愛し合って、キリストの体である教会として共に建て上げられる時、
私たちは、神様の御霊の住まわれる家、神殿となるのです。Ⅰペテロ2:5。
今日、教会すなわち私たちクリスチャンたちの集まりは、
神様が霊によって住まわれる神の宮であり神殿です。Ⅰコリント3:16。Cf.Ⅰコリント6:19。
そして、一つとなる所には、神様の豊かな臨在と祝福があるのです。詩篇133:1-3。
互いに愛し合い、主の臨在に満たされた教会となりましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師