15.9.6.

初めの愛に帰れ

黙示2:1-7

神様は私たちがどのような教会となることを望んでおられるのでしょうか。
神様が「エペソにある教会」に語られたメッセージから学びます。
エペソの教会はどのような教会であったのでしょう。

1.エペソ教会への称賛-行いと労苦と忍耐と見抜き

主はエペソの教会に「あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている」と語られ、
エペソ教会の「行い」と「労苦」と「忍耐」について賞賛しています。
Ⅰテサロニケ1:3では「信仰の働き」、「愛の労苦」、「望みの忍耐」と説明されいます。

① 行い・信仰の働き

エペソ教会のクリスチャンたちの信仰は、口先だけのものであったり、
単なる頭の中の抽象的な概念であったのでもありませんでした。
どんなに信仰があっても、行いが伴わないなら、何の意味もありません。Cf.ヤコブ2:14-26
彼らはクリスチャンとして証の立つ生活を送っていたのでしょう。

② 愛の労苦

「愛の労苦」とは、祥訳聖書では「愛の動機から出た奉仕」と訳されています。
「労苦」とは、汗をかくまで働く意味で、疲れ果てるまで心身を使い尽くすことです。
彼らは義務感からでもなく、人に認められ褒められるためでもなく、
純粋な愛を動機にして、奉仕することに励んでいたのでしょう。

③ 望みの忍耐

エペソ教会のクリスチャンたちは、どんな迫害や貧しさや困難の中にあっても、
主に対する「望み」を持ち、「忍耐」をもって信仰の道を歩み続けていました。2:3

④ 偽りを見抜いた

エペソ教会のクリスチャンたちは「使徒と自称しているが実はそうでない者たち」の
「偽りを見抜いた」ことも称賛されています。
また、「ニコライ派」の教えに同調せず、拒み退けました。

2.エペソ教会への叱責-初めの愛からの離れた

エペソ教会は主からの賞賛を受けた立派な教会でしたが、
主から「あなたは初めの愛から離れてしまった」と非難されてしまいました。
彼らから全く信仰が失われてしまったわけではありません。
しかし、神様への愛は冷えてしまい、かつて持っていた情熱は消えてしまったのです。
また、神様に対する愛が冷えていくのと同時に、
兄弟姉妹のお互いの間の愛も冷えてしまったのではないでしょうか。
どんなに信仰の「行い」が立派で、献身的な「労苦」をし、「忍耐」があっても、
「愛」がないならば、何の意味もありません。Ⅰコリント13:1-3
エペソ教会は神様に対しても人に対しても愛に満ちた教会でした。エペソ1:15,16、3:17-19
しかし、時間の経過と共に、神様に対する愛も、人に対する愛も冷えてしまい、
最初の頃に持っていた感動も熱意もなくなりかけていたのです。
正しい教えを守り、正しい信仰を持ち、間違いのない正しい教会でしたが、
神様と人への愛はありませんでした。
教会としの活動は活発になされていましたが、
心の伴わない形式的で表面的でマンネリ化した奉仕になりつつあったのです。

3.思い出し、悔い改め、初めの行いをする

エペソ教会に対して、主は「初めの愛」に帰るようにと呼びかけられました。
黙示2:5。…あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。

① どこから落ちたかを思い出す

主はどの時点からそのような状態になったのか「思い出す」ようにと語られました。
愛が冷め、愛が失われていったのには長い時間がかかり、
その変化も少しずつ進行していったものだったので、気づくこともありませんでした。
しかし、現在の状態と最初の愛の間には、大きな違いがありました。
なぜ、初めの愛を放棄してしまうようになったのか考えるようにと促されたのです。

② 悔い改める

次に、大切なことは「悔い改める」ことです。
自分が最初の愛を放棄してしまったのには、様々な要因があったかもしれません。
しかし、その根本的な問題は自分自身にあることに気が付かなくてはなりません。
へりくだって自分の非を認め、悔い改めることが大切です。
神様は砕かれ、悔い改めた者に恵みを注いで下さるのです。詩51:17。イザ57:15。Ⅱ歴7:14

③ 初めの行いをする

悔い改めたなら、実際の行動が伴わなければなりません。
イエス様は、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と教えられました。マタイ3:8
主はエペソ教会に「初めの愛」の行いをするようにと命じられました。

さらに主はエペソ教会に「悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取り外してしまおう」(2:5)と警告を与えられました。
もし、教会から愛がなくってしまうなら、主の臨在も、喜びも、力も失ってしまいます。
すなわち、教会は「燭台」として主の栄光を輝かすことが出来なくなるのです。
教会が光を放つ役割を果たさなくなれば、教会の存在意味はなくなります。

これは、現代に生きる私たちにも、語りかけられているのです。2:7
主は、エペソ教会が初期の熱心であった頃のキリストに対する愛を回復し、
その愛と情熱を再び燃え立たせるようにと望んでおられました。エペソ3:17-19
主は、私たちにも「初めの愛に帰れ」と語っておられるのです。
初心の愛を忘れることなく、もう一度初心の愛に立ち返り、新しい歩みをしましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師