15.5.3.

喜んで仕える霊に支えられる

詩篇51:12

詩篇51篇はダビデの悔い改めの詩篇です。Ⅱサムエル11:1-12:15が背景となっています。
そして、この詩篇の中で、ダビデは次のように言っています。
「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」51:12
喜びをもって主に仕えるにはどうしたらよいのでしょうか。

1.喜んで主に仕える

私たちは喜んで主に仕えているでしょうか。
神様が求めておられることは、私たちが心から主に仕える者となることです。申命10:12,13
Ⅱコリント9:7には、献金をささける時の心構えについて書いてあります。
献金は「いやいやながでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりに」されるべきで、
神様は「喜んで与える人を愛してくださいます」とあります。
この原則は、神様に仕えることにも適応されます。
すなわち、神様は私たちが強制されて、嫌々ながら仕えるのではなく、
自分の意志で、喜んで仕えることを願っておられるのです。
もし、私たちが強いられて、嫌々ながら仕えているのなら、それは奴隷と同じです。
私たちは単なる神様の奴隷なのではなく、神様の子どもです。
奴隷は命令されるまで待っていて、命令されたことを義務として従いますが、
子どもは自らの意志で、喜んで従います。
また、奴隷が仕える動機は、恐れ、義務感、認められ受け入れられるためですが、
子どもの動機は、愛、感謝、喜んでもらいたいというものです。
神様は私たちに奴隷になって欲しいとは願っておられません。
私たちは神様にとって愛する子どもなのです。

2.救いの喜び

罪を犯してしまい、神様の裁きを宣告されたダビデにとって、
まず取り戻したかったものは、「救いの喜び」でした。
すなわち、罪を赦されて、神様との交わりを回復させることでした。
罪の赦しがないままでは喜びはありません。喜んで仕えることは出来ません。
救いとは、別の言い方をするなら、「神様との交わりの回復」です。
ですから、「救いの喜び」とは、「神様との交わりの回復による喜び」です。
あなたは神様に罪を赦され、神様と和解し、神様との交わりを回復しているでしょうか。
そのためには、ダビデのように自分の罪を認め、それを悔い改め、
私たちの罪を身代わりに負って十字架にかかり死なれたイエス様を信じることです。
イエス様を信じるなら、罪が赦され、神様との交わりが回復します。ローマ5:1
そして、私たちは「救いの喜び」を得ることが出来るのです。Ⅰペテロ1:8,9
この喜びは、この世が与える一時的な喜びとは違い、
どのような状況の中でも、変わることも、薄れることもない、いつまでも続く喜びです。

3.御霊による喜び

「救いの喜び」を実感していないクリスチャンたちもいます。
それは、「救いの喜び」が与えられていても、「救いの喜び」の中に生きていないからです。
では、どのようにしたらこの「救いの喜び」を体験出来るのでしょうか。

① 救いの恵みを思い起こす

なぜ、「救いの喜び」が感じられなくなってしまうのでしょう。
私たちがこの世のものに心が奪われてしまい、救いの恵みを忘れてしまうからです。
ですから、まず自分に与えられている救いの恵みを意識的に思い起こすことが必要です。
詩篇103:2には「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とあります。
イエス様は70人の弟子たちが喜んで伝道から帰って来た時、このように言われました。
ルカ10:20。「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。
ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
「天に名が書き記されている」とは、
天の「いのちの書」(黙示3:5、20:12-15、ダニエル12:1)に名が書き記されていることで、
イエス様を信じて救われた者の名が書き記され、永遠のいのちが約束されています。
すなわち、イエス様は何よりも自分が救われていることを喜びなさいと言われたのです。
私たちに与えられた救いの恵みこそが私たちの喜びの土台となるものです。

② 御霊によって主と交わる

「救いの喜び」を体験するためには、実際に神様との交わりを持たなくてはなりません。
神様との交わりは、聖霊による交わりによって持つことが出来ます。
イエス様を信じて救われた私たちは、神様の子どもとされました。
私たちが神様の子どもであることは、私たちに与えられた聖霊が保障して下さいます。
なぜなら、私たちは御霊によって神様を「アバ、父」と呼ぶことが出来るからです。
御霊によって、父なる神様に近付き、親しい交わりを持てるのです。ローマ8:15,16
聖霊は私たちが神様に祈り、神様との交わりを持つことを助けて下さいます。ローマ8:26
このように、私たちは御霊によって、父なる神様との親密な交わりを持つことが出来、
神様との交わりによって「救いの喜び」を体験することが出来るのです。
詩篇16:11。…あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみとこしえにある。
ダビデが「私はいつも、私の前に主を置いた」(詩篇16:8)と言っているように、
常に意識して主との交わりの時間を持つようにしなければなりません。

神様は私たちが喜んで神様に仕えることを望んでおられます。
強いられて、嫌々ながら神様に仕えるのではなく、喜んで神様に仕えましょう。
そのために、いつも救いの恵みを思い起こし、
聖霊によって主との交わりを持ち、「救いの喜び」に満たされましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師