四人の人に運ばれた中風の人のいやし

マルコ2:1-12

220724

現在はコロナの問題だけでなく、ウクライナ戦争のために、多くの人たちが仕事を失ったり、生活が苦しくなったりしています。私たちはこの町の苦しんでいる人たちに、何をしたらよいのでしょうか。

1.イエスは人々の罪を赦し、体をいやされる

イエスがカペナウムの家にいると、大勢の人たちが集まってきました。そこで、イエスはみことばを話し始めました。すると四人の人が一人の中風を病んだ人を運んできました。中風というのは、体がマヒしてしまう病気です。

イエスの周りに大勢の人々がいたので、この四人は近づくことはできませんでした。そこで、彼らは建物の屋上に上り、屋根をはがし、イエスの元に病人をつりおろしました。イエスは、この病人のいやしの前に、罪の赦しを宣言されました。

モーセの律法には、律法を守れば病気は来ないという箇所があります(出エジプト15:26)。そのため、病気は罪からくると信じられていました。だから、イエスは、その人の病がいやされるために、罪の赦しを宣言されたのです。罪を赦す権威をもつのは神だけです。しかし、律法学者たちは、イエスを単なる人間としか見ていなかったので、イエスが罪を赦す権威を持っておられることを知りませんでした。そのため、律法学者たちは、イエスが神を冒とくしていると思いました。それからイエスは彼を癒し、ご自分が罪を赦す権威をもっていることを示されました。

2.この四人のような熱い信仰をもとう

イエスはこの四人の人の信仰をご覧になり、病人の罪を赦し、いやされました。この四人の信仰はどのように立派だったのでしょうか。

①あきらめない熱意

この四人は、病気で動けなくなってしまった友をかつぎ、イエスの元に連れてきました。大勢の人がいたために近づけないとき、そこであきらめず、裏から回って屋上に上りました。屋上に上がっても、それだけではイエスの前に友を連れていくことができません。彼らはそこであきらめませんでした。彼らは屋根をはがして釣り下ろして、友をイエスの御前に連れてきました。このように、途中さまざまな困難がありましたが、途中でやめたりしませんでした。そして、ついに彼をイエスの元に連れてきました。困難を乗り越え、前進し続ける信仰こそ、イエスの喜ばれる真の信仰です。

②動機は友への愛

彼らはそれほどまでに、友を助け、いやされてほしいと切に願いました。彼らはその友の苦しみを自分のことのように受け止めたのです。聖書で最も大事な教えは、隣人を自分自身のように愛することです(マタイ22:39)。彼らの動機は友への愛だったのです。このような愛によって頑張る彼らをイエスはご覧になったのです。私たちも彼らのように、隣人に対する愛を持ちましょう。

③一致協力して働こう

四人は一致の思いで、友をイエスの元に連れてきました。彼らは、行く手がふさがれても、一致して四人で病人を運びました。このような一致を主は喜ばれます(エペソ4:3)。この病人が癒されたのは、この病人の信仰ではなくて、彼を連れてきた四人の信仰を御覧になったからです。

世の中の人たちを救いに導くために必要なのは、私たちクリスチャンたちの信仰です。イエスは私たちの信仰をご覧になっておられます。私たちが町の人々を愛し、困難に乗り越える熱い思いで、一致して取り組むなら、主は私たちの信仰に応えてくださいます。

私たちは、隣人や町の人たちへの愛を持ち、熱い思いで困難を乗り越え、一致して活動しましょう。これからも皆で新しいことにチャレンジしていけたらと願っています。主はこのような私たちの熱い信仰に応えてくださいます。

まとめ

私たちが人々を愛し、困難に負けず、一致の思いで、人々をイエスの元に導きましょう。その熱い信仰をイエスは見て、人を救い、いやしてくださるのです。

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