15.1.11.
安息日の祝福
イザヤ58:13,14
私たちは毎週日曜日に教会に集まって礼拝しています。
なぜ日曜日に礼拝をささげているのか、その意義について御言葉から共に学びましょう。
1.安息日と聖日礼拝
日本の教会では、日曜日の礼拝を「聖日礼拝」または「主日礼拝」と呼んでいます。
日曜日は単なる休日ではなく、神様にささげられた「聖なる日」、「主の日」だからです。
この起源は、旧約聖書の「安息日」から来ています。
旧約聖書を厳格に守っているユダヤ教では、安息日(シャバット)を厳格に守っています。
安息日は金曜日の日没から始まって土曜日の日没で終わります。
安息日とは「休息する」という意味で、全ての働きを止めて心身を休めることです。
しかし、ユダヤ人にとって、安息日は単なる休息の日ではなく、
ユダヤ人の暦の中で最も大切な聖なる日であり、ユダヤ人の生活の中心です。
ユダヤ人たちは安息日を守るのに命懸けでした。
それは出エジプト20:8-11の十戒の第4戒で安息日を守るように命じられていたからです。
ユダヤ教における土曜日の安息日は、
キリスト教においては日曜日の聖日または主日に受け継がれることになりました。
キリスト教会が日曜日を安息日すなわち聖日または主日と定めたのは、
イエス・キリストの復活を記念したからです。
イエス様は週の初めの日に復活されました。マタイ28:1、マルコ16:2、ルカ24:1、ヨハネ20:1,19。
初代のクリスチャンは日曜日に集まり礼拝するようになりました。使徒20:7、Ⅰコリント16:2。
2.安息日の意義
安息日の意義は、キリスト教会にも受け継がれ、さらに新しい意味付けがなされました。
① 神様の創造の業を記念する___神様ご自身を覚える
安息日は、出エジプト20章の十戒において制定されています。出エジプト20:8-11。
しかし、安息日が最初に制定されたのは、天地創造の最後の日でした。創世2:1-3。
神様は6日間で天地万物を創造され、7日目に完成を宣言し、創造の業を終えられました。
そして、神様は7日目を祝福し、聖なる日であると宣言されたのです。
それゆえ、人間も6日間は働いて、7日目にはその仕事を止め、
神様の創造の業を覚え、感謝し、喜び、創造者なる神様をほめたたえて礼拝するのです。
クリスチャンにとっても安息日(聖日・主日)は、
全てを造り命を与えて下さった神様を覚え、ほめたたえ、礼拝する日なのです。
しかしそれだけでなく、神様がイエス・キリストによって、私たちを新しく造り変え、
新しく生まれ変えさせて下さったからでもあるのです。
② 神様による救いの業を記念する___神様の御業を覚える
申命5:15には安息日を守るもう一つの根拠が記されています。
安息日は、イスラエルの人々がエジプトでの奴隷状態から、
神様によって解放されたことを覚え、記念する日なのです。
ユダヤ人たちは安息日毎に自分たちが解放されたことを覚え、
感謝し、喜び、神様をほめたたえ、神様を礼拝しているのです。
クリスチャンにとっては、安息日はキリストの救いの御業を覚える記念日でもあるのです。
すなわち、イエス様が私たちを罪と滅びから救い出して下さるために、
十字架にかかって死なれ、復活されたことを覚え、感謝し、喜び、ほめたたえるのです。
ですから、キリスト教会では、イエス様の十字架の死を覚えるため聖餐式が行われます。
③ 神様との契約を記念する___神様と自分との関係を覚える
出エジプト31:13-17。イスラエルの人々は、神様とイスラエルとの間のしるし、
神様との永遠の契約にあることを覚え、安息日を守らなければなりませんでした。
ユダヤ人たちにとって、安息日を守ることが自分たちが神様のもの、神様の民、
永遠の契約にあるというしるしであったのです。
私たちクリスチャンもイエス・キリストの十字架の業によって贖われ、
神様のもの、神様の民となり、新しい永遠の契約の中に入れられました。
私たちは、聖日の礼拝毎に、神様とのこのような関係を持つ者とされたことを覚え、
感謝し、喜び、神様をほめたたえ、礼拝するのです。
3.安息日を聖なる日とする
神様は、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」と言われました。出エジプト20:8。
「聖なる日」とするということは、「聖別された日」という意味です。
すなわち、世俗なものものから分離して、神様だけにささげる日とするという意味です。
恵みの中に生きる私たちクリスチャンは、あまりにも恵みに甘んじてしまい、
安息日を守ることを軽んじてしまってはいないでしょうか。
神様の御言葉に従って安息日を守るのではなく、
自分の都合に合うような守り方はしていないでしょうか。
礼拝を何とか守れるようにしようという努力を止めてしまってはいないでしょうか。
出エジプト16:4,5。安息日はイスラエルの民が神様の命令に従うかどうか試すものでした。
大切なことは安息日が守れるように自分の生活を管理することです。
安息日を守れるような一週間または一か月のスケジュールを組むのです。
また、安息日の前はその備えの日として、次の日に支障のないようすることも必要です。
しかし、安息日を守るのにあまりにも律法的になり過ぎてもよくありません。
イザヤは安息日を「喜びの日」、「はえある日」と呼ぶようにと教えています。イザヤ58:13。
私たちは、安息日を守れることを感謝し、喜びましょう。
そして、イザヤはもし安息日を「喜びの日」、「はえある日」と呼んで大切にし、
安息日を守るなら、神様の祝福があることを約束しています。イザヤ58:13,14。Cf.56:4-8。
イエス様は「安息日は人間のために設けられたのです」と言われました。マルコ2:27。
安息日に神様の御前に出て、創造主なる神様を見上げ、イエス様による救いを喜び、
神様との親しい交わりの中に憩う時、私たちの霊も魂も体も元気を回復します。
そして、新たなる力をいただいて、再び新しい一週間を歩むことが出来るのです。
安息日を守ることは、私たちにとって大きな祝福なのです。
Filed under: 伊藤正登牧師