19.1.20.

この聖書の話は、「種蒔きの例え」と呼ばれています。当時のユダヤの種蒔きは、文字通り、種の入った袋からただ種をばら蒔くだけでした。この例え話に出て来る「種」は「御言葉」を意味しています。「種」が落ちた4種類の土地は、御言葉を聞く人の「心の状態」を表しています。その人が、どのような心の状態で御言葉を聞くかによって、その人の信仰が成長して実を結ぶかどうかが決まります。私たちはどのような心の状態で御言葉を聞かなければならないのでしょうか。

1.道ばた(4,19)

「道」は、人や家畜や車によって踏み固められ、堅くなっています。ですから、そこに「種」が落ちても、地の中に入っていきません。やがて、「種」は、「鳥」に食べられてしまいます。せっかく蒔かれても、当然、その「種」は実を結ぶことは出来ません。
「道ばた」の心の状態とは、御言葉を受け入れられず、信じられない「頑固な心」です。「道ばた」の心の人は、不信仰によって心が堅くなってしまっているため、御言葉を受け入れられることが出来ません。その人たちは、神がおられること、この世界が神によって無から造られたこと、聖書の中の様々な奇跡、キリストの復活など、目に見えないものは信じられないのです。
「道ばた」の心は、未信者だけではなく、クリスチャンにも見られます。その場合は、不信仰によってではなく、偏見によって、心が頑なになっています。その人たちは、自分で決めつけた理解や解釈を持っていて、絶対に変えようとしません。聞く耳を持たず、学ぼうともせず、ただ相手を批判し、責めるだけです。それは、パリサイ人や律法学者たちに見られた特徴です。
「道ばた」の心の人は、御言葉を聞いても、信じ受け入れないので、サタンがその御言葉を奪い去ってしまい、信仰が育たず、実を結ぶことが出来ません。

2.土の薄い岩地(5-6,20-21)

「土の薄い岩地」には「土」がありますので、落ちた「種」は根を張り、芽が出て来ます。しかし、その「土」の下は、堅い岩盤となっているため、根を深く張ることが出来ません。やがて太陽が照り付けると、「根がないため」水分を吸収できずに枯れてしまいます。
「土の薄い岩地」の心の人は、「根がない」とあるように、御言葉が深く根ざしていません。始めの内は、喜んで御言葉を聞き、喜んで御言葉を信じ受け入れますから、信仰が燃やされているように見え、信仰が成長したように見えます。しかし、信仰のための困難や迫害などの試練が起こると、信仰が躓いてしまいます。その人の熱意は冷め、信仰は失われ、教会から去ってしまうのです。
「土の薄い岩地」の心の人の問題点は、その人の心の中に「岩」があるということです。その「岩」とは、自分のエゴやプライドであると言えます。常に、自分の気持ちや自分の考えが自分の中心なのです。「土の薄い岩地」の心の人は、結局、御言葉を選り好みする人です。自分にとって耳障りの良い御言葉、自分のためになる都合の良い御言葉は受け入れます。しかし、それ以外の厳しい御言葉などは、無視してしまいます。自分に不都合なことが起これば、簡単に信仰を捨て、教会から離れ、実を結びません。

3.いばらの中(7,22)

「いばら」とは、「とげのある雑草・低木」のことですが、雑草と考えて良いでしょう。この「いばら」の地に落ちた「種」は、やがて根を張り、種は芽を出し、成長しました。しかし、その土地には「いばら」も生えて来て、「いばら」の方が先に大きく成長しました。そのため、せっかく「種」から成長して来た植物も「いばら」にふさがれてしまいました。
この「いばら」とは、「この世の心づかいと富の惑わし」のことです。マタイ4:19には「その他いろいろな欲望」とあり、ルカ8:14には「快楽」があります。「いばら」の地の心の状態とは、「二心」です。この人は、喜んで、熱心に御言葉を聞き、受け入れ、信仰を持つようになります。しかし、この人の内には、この世を愛する心もあります。やがて、世の中の心配事、富の誘惑、その他の様々な欲望が心を支配するようなり、御言葉を忘れてしまったり、御言葉よりこの世のことを優先するようになります。そのため、霊的に成長することなく、実を結ぶことが出来ないのです。
「いばら」の地の人に問われていることは、優先順位です。「何を大切にするのか、何が自分にとって重要なものなのか」、ということです。神よりもお金、この世のものや楽しみ、友人や家族など人の方が大切になり、御言葉が塞がれてしまい、信仰が成長しません。マタイ6:24Ⅰヨハネ2:15-16

4.良い地(8,23)

「良い地」に落ちた「種」は、「百倍」、「六十倍」、「三十倍」の「実」を結びました。「良い地」の心の人は、柔らかい素直な心、教えられやすい心を持っています。また、「良い地」の心の人は、エゴやプライドはありません。常に心が砕かれていて、どんな御言葉も受け入れ、御言葉に深く根を下ろしています。ですから、試練の嵐が襲って来ても、信仰を失ったり、教会から去ることはありません。また、「良い地」の心の人は「二心」ではなく、主を愛し、御言葉に従うことを優先します。
ルカ8:15では「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです」とあります。「良い地」の心の状態の人は、御言葉を素直に信じ受け入れるだけではなく、その御言葉を「しっかりと守り、よく耐え」る人であるのです。御言葉を聞くだけではなく、読むだけではなく、学ぶだけではなく、知っているだけではなく、御言葉を行う者が祝福され、豊かな実を結ぶのです。

イエスは、最後に「耳のある者は聞きなさい」(マタイ13:9)と言いました。「良い地」の心をもって、御言葉に耳を傾け、それを守り行い、「百倍」、「六十倍」、「三十倍」の「実」を結ぶ者とならせていただきましょう。