16.1.1.

岩の上に家を建てる

マタイ7:24-27

私たちの人生には、いつ、どのような試練が襲って来るか分かりません。
どのような事が起こっても、慌てることなく、恐れることなく、落ち込むことなく、
しっかりと信仰を持って揺るがない歩みをしたいものです。

1.岩の上の家と砂の上の家の違い

「賢い人」は「岩の上」に自分の「家」を建てました。
おそらく何日もかけて根気よく固い岩を砕き、大変な作業だったに違いありません。
「愚かな人」は「砂の上」に自分の「家」を建てました。
柔らかい「砂」の土地でしたから、簡単に手早く土台が造られたことでしょう。
見た目は同じ家でしたけれども、大嵐が襲って来た時にその違いが現れました。
ある日、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて」それぞれの「家」を打ち付けました。
それでも「岩の上」に建てられた「家」は、びくともせず立っていて無事でした。
しかし、「砂の上」に建てられた「家」は、倒れてしまい、それも「ひどい倒れ方」でした。
二つの「家」の違いは土台にありました。
この「家」は私たちの人生を表しています。
私たちは自分の人生を揺るぐことのない「岩の上」に建てなければなりません。
あなたの人生を支えている拠り所となっているものは何でしょうか。
ある人は自分や家族や友人、ある人はお金や財産、ある人は仕事と言うかもしれません。
しかし、それらのものは絶対的なものではありません。
このような不確かなものを自分の人生の土台とし、それに頼り切ってしまうなら、
それらを失ってしまう時、その人の人生も崩れ去ってしまうのです。
人生には、困難や問題や誘惑など様々な試練の嵐が襲うことがあります。
人生の基礎や土台がしっかりしていなければ、何事もない平安な時は問題なくても、
人生の嵐が襲って来ると、それに耐えられず、倒れてしまうのです。
しかし、人生の基礎や土台がしっかりしていれば、倒れることはありません。
ですから、私たちの人生の基礎や土台も、しっかりした「岩」でなければなりません。

2.御言葉を聞いて行う者となる

「岩の上に自分の家を建てた賢い人」とは、どのような人なのでしょうか。
それは、「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者」であるとイエス様は言われました。

① 主の語りかけを聞く

信仰が養われ、成長するためには、御言葉を聞かなくてはなりません。ローマ10:17
神様は、常に私たちに御言葉を通して語りかけておられます。マタイ4:4
まず、礼拝のメッセージの中で、主が個人的に語りかけて下さる言葉を聞くのです。
礼拝で語られる説教は、御言葉の説き明かしですから、ある意味学び的な要素があります。
しかし、説教は単なる勉強ではなく、説教の中から、直接的に個人的に語り掛けられる
神様からのメッセージを受け取らなくてはならないのです。
また、日々の忙しい生活の中でも、マリヤのように、主の語りかけを聞くのです。
そのためには、日々、御言葉を読まなくてはなりません。
しかし、御言葉を読むこと自体が目的なのではなく、主の語りかけを聞くことです。
私たちが御言葉を読むのは、単に勉強するためでもなく、知識を増すためでもありません。
御言葉を読むことによって、生ける神様との人格的な交わりを持つのです。
御言葉を読みながら、神様の御前に出て、神様と出会い、神様から語りかけを聞くのです。
そして、神様の御心を知り、最終的にはイエス様に似た者へと変えられていくのです。
御言葉を読みながら、次のことを問いかけて下さい。
「神様はどういうお方か」、「神様は何を語られ、何をするように願っておられるのか」。

② 主が語られたことを行う

次に、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」とは、ただ聞くだけの人ではなく、
聞いたことを実行する人です。
「賢い人」も「愚かな人」も、御言葉を聞いたというところまでは同じだったのでしょう。
しかし、ただ「聞いた」、「読んだ」、「学んだ」というところで終わってしまい、
御言葉を実行しないならば、「砂の上」に建てた家でしかないのです。
どんなに素晴らしい御言葉を知っていても、試練や誘惑の嵐が襲って来ると、
落ち込んだり、絶望したり、文句を言ったり、イエス様から離れてしまうのです。
聖書は、御言葉を実行する人になりなさいと命じています。ヤコブ1:22
教会の使命は、福音を伝え、バプテスマを施し、
イエス様の全ての教えを教えて守るようにさせることです。マタイ28:19,20
単に知識を伝えるのではなく、イエス様の教えに従って生きるように教えるのです。
御言葉を実行するということは、御言葉を自分の日々の歩みに適用するということです。
神様が願っておられるライフスタイルで生きて行くということです。
自分の考え方、言葉、生き方を、自分の願いや欲望に合わせるのではなく、
神様の御心に合わせ、それを行うのです。それは生き方の変化です。
「イエス様だったらどうするだろうか」ということを考え、それを行うのです。
御言葉を実行するということ、御言葉を自分の生き方に適用するということは、
岩を砕いたり深く掘り下げたりするように、楽なことではく、
面倒なことで、難しいことで、苦労することかもしれません。
しかし、それが「岩の上に自分の家を建てた賢い人」となることなのです。

どのような人の人生にも、困難や問題や誘惑というような様々な試練があります。
人生の試練に会わないように生きることは出来ませんが、
試練があっても倒れず、しっかりと生きて行くことは出来ます。
それは、主の御言葉に耳を傾け、主が語られることを聞き、それに従い、
主の御心の通りに生きることです。
御言葉を聞き、行って生きる人は、人生の嵐に遭遇しても倒されることはありません。

Filed under: 伊藤正登牧師