170723

岩の上に建てられた家のような人生を築こう

マタイ7:24-27

みことばを聞いて行わない人にも、聞いて行動する人の上にも、人生の嵐はやってきます。この両者に違いはあるのでしょうか。みことばは心の中で信じるだけで十分なのでしょうか。岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家の違いを通して学びましょう。

1.見えない信仰を表明するのが行い

岩の上に建てられた家は、みことばを聞いて行う人を意味しています。人生の嵐が襲ってきてもその人は守られ、揺り動かされませんでした。また、砂の上に建てられた家は、みことばをただ聞くだけで行わない人を意味しています。人生の嵐が襲ってきたとき、その人はあえなくつぶれ、それもひどいありさまになってしまったというのです。

このみことばは、イエス様の山上の垂訓のしめくくりとして語られたものです。山上の垂訓には、律法の真の意味である、隣人を心から愛し、神様を心から信頼することが書かれてあります。すばらしいみことばですが、これらを心の中で信じるだけではダメでしょうか。行いに現していくことが必要なのでしょうか。

確かに、私たちは信仰によって救われました(エペソ2:8-9)。「信仰をもって聞いた」ので御霊を受けました(エペソ1:13ガラテヤ3:2)。

しかし、救われたのちも、様々なことで信仰が試されます。みことばを聞き、従うことが求められます。私たちが信じて従うなら祝福されます。つまり、信仰を表明するのが行いです。信仰は行いをもって完成されるのです。

アブラハムは神様を信じる信仰の父と呼ばれていますが、息子イサクを神様にささげるという行いをもって、彼の信仰は完成され、神様に祝福されました(創世記22:15-18ヤコブ2:21-24)。

2.みことばを聞いたら心に刻む

両者とも、みことばを聞いています。しかし、みことばを聞いて行うためには、聞いたみことばを心に刻み、紙に書きとめて読み返したり、思い返したりすることが必要です。また具体的に自分の生活に活かして行う工夫をしたりします。

みことばを実行しない人は、自分の生まれつきの顔を鏡で見て立ち去るひとのように、何の工夫もなく、注意を払うこともありません(ヤコブ1:22-24)。

3.みことばを行う積み重ねで堅固な人生が造られる

岩の上に家を建てるということは、砂の上に家を建てることよりも難しく苦労も多いのです。みことばを聞いて心の中で信じるだけでなく、それを実行するのは大変なことです。しかし、目に見えない信仰を見える形で現してゆくことが大事なのです。この積み重ねで堅固な人生が築かれてゆくのです(Ⅰコリント3:9-15)。

教会も信仰告白の上に成り立っていて、地獄の門も教会には勝てないのです(マタイ16:18)。

みことばを聞いて行うことで築き上げられた人生は、必ず報われる日が来ます。試練の嵐の日に、その行ってきたことを心から喜ぶことができるのです。

みことばを聞いて行う人と、みことばを聞いて行わない人がいます。行う人は大変な苦労もありますが、堅固な人生を築き、人生の嵐にも揺るぎません。私たちはみことばをしっかり聞いて行う人になりましょう。行いを積み重ねてゆるぎない人生を築きましょう。

Filed under: 柴田晃伝道師