2017.11.5.

平和の福音の備えを履く

エペソ6:10-18

神が私たちに用意しておられる霊的な武具の第3は、「平和の福音の備え」(6:15)です。
「平和の福音の備え」を履くとはどういうことでしょう。

1.あらゆる人の所へ行き平和の福音を伝える

「備え」とは、「履物」のことです。
履物は、どのような状態の土地でも歩けるようにするものです。
ローマの兵士たちは、「カリガ」という「皮の編み上げサンダル」を履いていました。
紐でしっかりと足に縛られ、厚い底には「鋲釘」が埋め込まれていました。
ですから、どのような状態の土地へも出て行き、戦うことが出来ました。
もし、履物によって、しっかりと足を守らなければ、
どんなに素晴らしい武具を持っていても、戦うことは出来ません。
このように、履物は、どんな場所にも足を踏み入れるために必要な「備え」です。
履物を履くということは、あらゆる場所に踏み出し、歩み出すという意味です。
ですから、「平和の福音の備え」を履くとは、「平和の福音」を携えて、
どのような場所へも行き、あらゆる人々に「平和の福音」を伝えるということです。
「平和」は、ヘブル語で「シャローム」と言い、ユダヤ人の挨拶の言葉となっています。
「シャローム」とは、単に「争いがなく、穏やかである」というだけではありません。
痛みも悲しみも欠けもなく、満ち足りている状態を示しています。
その「シャローム」は、この世のものに依存する平和(平安)とは違います。
状況に関わらず持つことの出来る平和(平安)です。
そして、その「シャローム」は、神と一つとなっていることによるものです。
私たちが「神との平和」を持つ時、心の中に「平安」を持ち、
人と人との間にも「平和」を持ち、そこに豊かな祝福が溢れるようになるのです。
この「シャローム」を与えて下さるお方がイエス・キリストです。ヨハネ14:27
「キリストこそ私たちの平和」(エペソ2:14)であるのです。
人間は、神に背いて罪を犯したため、神との敵対関係にありました。
そのため、神との「平和」がなく、自分の内にも「平和」、平安がありませんでした。
また、人間関係においても、自分の人生においても「平和」がなかったのです。
しかし、十字架のイエスの上に私たちの罪が置かれ、また同時に神の裁きが下され、
イエスの死で私たちの罪は処分され、神との敵意が取り除かれました。コロサイ1:19-22
このイエスを信じ受け入れる時、罪と敵意は取り除かれ、
「神との平和」が与えられるのです。ローマ5:1
この「平和の福音」をいつでも、どこでも、誰にでも伝えましょう。Ⅱテモテ4:2

2.言葉と行いによって福音を伝える

私たちは、どのような場所でも出て行って、
人々に「平和の福音」を伝えなければなりません。マルコ16:15
ですから、私たちは、人々が来るのを待つだけではなく、
人々がいる所に行って、そこで福音を伝えなければならないのです。
① 救いの体験を語る準備をする
人々に救い主イエス・キリストを伝えるための最も簡単で効果的な方法は、
自分自身の救われた体験を話すことです。証し(証言)するということです。
イエス・キリストを信じたことによって、自分自身に起きたことを話すのです。
イエスが何をして下さったのか、イエスがどれほど素晴らしいお方かを話すのです。
イエスは、悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出されました。
その人は、イエスにお供したいと願いましたが、イエスは言われました。
「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」(マルコ5:19)
たとえ、パウロのように劇的な救いの体験がなかったとしても、
自分の救いの体験は、誰も真似することの出来ない特別で貴重なものです。
救いの体験は、一人一人異なっています。自分しか語ることの出来ない個人的なものです。
説教するのではなく、自分が体験したことをそのまま伝えるのです。それで十分です。
誰にでも、いつでも証し出来るように準備することが必要です。
Ⅰペテロ3:15には、「あなたがたのうちになる希望について説明を求める人には、
だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」とあります。
これが「平和の福音の備え」となるのです。

② 愛の行いによって人々の心を備える
また、言葉だけで「福音」を語るのではなく、
行いや態度、生き方で「福音」を示すことが大切です。
信仰の話ばかりすることは、かえって逆効果になることもあります。
人々は、言葉よりも、純粋な愛、真実な親切(やさしさ)、正直さ、誠実さ、勤勉さ、
正義、忍耐、喜びや感謝の態度、人に仕える姿勢、人の悪口を言わないこと、
このような「無言のふるまい」(Ⅰペテロ3:1-2)に心を動かされるのです。
イエスは、「あなたがたは、世界の光です」(マタイ5:14)と語り、
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)と言われました。
私たちが「良い行い」によって、イエスの「光を人々の前で輝かせ」る時、
人々は「光」であるイエスの方へと導かれてやって来るのです。Cf. イザヤ60:1-3
大きなことをする必要はありせん。
小さな愛の行為が、人々の心を動かし、人々の心を開かせるものとなるのです。
そして、その時、イエスについて語ることが出来るようになるのです。
そのように人々の心を福音に対して備えることが、「平和の福音の備え」となるのです。

今日、私たちは、神の兵士です。兵士に必要な装備の一つは履物です。
履物は、戦うための直接的な武器ではありません。
しかし、履物を履くことによって、どんな道をも進むことが出来、遠い所へも行けます。
神の兵士として、あらゆる人々に「平和の福音」を伝えるために出て行きましょう。
いつでも、だれにでも「平和の福音」を語れる準備をしておきましょう。

Filed under: 主の武具伊藤正登牧師