23.12.3.

キリストの誕生は、突然起こったことではなく、聖書に預言されていたことだった。

1.キリストはアブラハム、ダビデの子孫として生まれた

2節から16節まで続く「系図」は、つまらなく、何の意味もないように感じられるかもしれないが、キリストの誕生にとって、この「系図」はとても重要なものであった。

① アブラハムの子孫として

主は、アブラハムに彼によって「地上のすべての民族」が「祝福される」と約束された(創12:1-3)。その約束は、アブラハムの子孫にも引き継がれていった(創22:18)。この「祝福」とは、単にこの世的な祝福のことではなく、神の国の祝福。すなわち、全世界に神の救いがもたらされるということ。

また、主は、アブラハムの子孫から「王たち」が出ると約束された(創17:6)。「王」とは、ヘブル語で「メシヤ」で、「油注がれた者」という意味。そして、「メシヤ」のギリシヤ語が「クリストス」で、日本語の「キリスト」。このように、主は、アブラハムの子孫として、王すなわちキリストが生まれ、全世界の人々を救い、神の国の祝福を与えようと預言された。そしてその預言通り、イエスは、アブラハムの子孫として生まれた(ガラ3:16)。

② ダビデの子孫として

ヤコブは、ユダについて、次のように述べた。「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。」(創49:10) これは、ヤコブの12人の息子たち、すなわちイスラエルの12部族からユダ族が選ばれ、ユダ族から王(キリスト)が出て来るという意味。そして、その約束の通り、ユダ族からダビデ王が出て来た。また、主は、ダビデに彼の子孫が王国を確立し、その国は永遠に続くと約束した(Ⅱサム7:12-16)。これは、ダビデの子孫からキリストが登場し、その王国が永遠に続くという預言。その預言通りイエスは「ダビデの子孫」として生まれた(使13:23ロマ1:2-4Ⅱテモ2:8)。

2.キリストは女の子孫として生まれた

「イエス・キリストの系図」は、「父親に息子が生まれた」というパターンになっている。しかし、系図の最後である16節では、「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」とあり、イエス・キリストが母マリヤから生まれたと書かれている。Cf.ガラ4:4。イエスは、マリヤからは生まれたが、ヨセフとの間の子ではなかったからである(18)。マリヤとヨセフは婚約していたが、まだ結婚してなく、夫婦関係はなかった。しかし、マリヤは「聖霊によって」イエスを身ごもったのである。Cf.ルカ1:26-38。「処女降誕」は、イエス・キリストが、単なる人間の子ではなく、神の御子であり、アダムの罪を受け継いでいない、罪のない聖なるお方であることを示している。

キリストが女から生まれた者、「女の子孫」として生まれることは預言されていた。アダムとエバが罪を犯した時、主は、蛇すなわちサタンに裁きを宣告した(創3:15)。この「女の子孫」が処女マリヤから生まれたイエス・キリスト。そして、「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」とは、サタンがキリストを十字架の死へと追いやるが、かえってキリストは、十字架の死によって、サタンを滅ぼすということ(ヘブ2:14-15)。

3.主は預言を成就する方

「ヨセフは正しい人」(19)だった。これは「忠実に律法に従っている人」という意味。律法によるなら、マリヤは裁かれ、処刑されなければならない。しかし、ヨセフはマリヤを何とか助けようとし、彼女を「内密に去らせようと決めた」(19)。婚約関係がなければ、マリヤは、姦淫の罪に問われることはなく、死刑を免れた。しかし、ヨセフがマリヤと別れてしまい、結婚しなかったら、キリストが「ダビデの子孫」として生まれるという旧約聖書の預言は実現しない。なぜなら、マリヤが「ダビデの子孫」であるヨセフと結婚したから、マリヤから生まれたイエスも「ダビデの子孫」となり得たから。

ヨセフがマリヤを「内密に去らせようと決め」た時、「主の使いが夢に現れて」言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタ1:20-23)

この出来事は、全てイザ7:14の「預言者を通して言われた事」の「成就」だった。主は、ご自分が約束したことを必ず実現される方。(イザ14:2455:10-11)

 

キリストは、預言の通り、アブラハムの子孫、ダビデの子孫、女の子孫として生まれた。しかし、キリストの来臨について、まだ成就していない預言がる。キリストの「再臨」。弟子たちの目の前で天に上げられたイエスは、再びこの世界に帰って来る(使1:11)。その時がいつであるかは、御父以外誰も知らない(マタ24:36)。聖書は、いつイエスが帰って来られてもいいように、準備するようと教えている(マタ24:42)。過去において、この世界に来て下さったイエスの降誕を喜び祝うと同時に、将来再びこの世界に帰って来られるイエスを待ち望もう。テト2:13

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