救いの希望
エレミヤ29:11
2021.11.14.
このコロナの中、世の中暗く、いつになったら前のようにマスクを外し自由に過ごせるのかという不安や憤り、また再び緊急事態宣言が発令されマイナスな感情があると思います。また、厚生労働省が2020年の自殺者数が2万919人で11年ぶりに増加したと発表していて、コロナ影響ではないかと発表しています。確かにコロナの影響で給料が減った会社も多く、生活が困窮すると先が見えなくなると思います。しかし、私たちには種から与えられている希望があります。
1.主は私たちに希望を与えてくださる
まず初めに聖書で「希望」という言葉が初めて使われているのは、(ヨシュ2:18)です。言語のヘブル語ではtiqvah(ティクヴァ)と言います。この日本語の意味はコード、希望という意味があります。
(ヨシュ2:18)を読んでいきましょう。ヨシュアは二人の人にエリコに行って偵察してくるように言います。そこで二人はラハブの家に行きました。ラハブは二人を中に招きました。それに感づいたエリコの人は突然やってきました。ラハブはとっさに二人を隠し、エリコの人に「その人たちは私のところに来ました。…暗くなって門が閉じられるころ、出て行きました。」伝えました。二人は助けてくれたラハブに対して「私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。…」と「紐」によって救いの希望が与えられています。そうして二人はラハブの家を後にしています。その後ヨシュアがエリコの街を攻め取った際にラハブとその家族は赤い紐を結んでいたことから助け出されました。ラハブと家族はこの紐によって命が救われ、エリコとともに滅ぼされることはありませんでしたね。もしラハブが赤いひもを結ばなければ救われなかったかも知れません。
また、(エレミヤ29:11)には神様の計画は災いではなく平安を与える計画であり、将来と希望を与えるものだと言っています。コロナのようになぜ起きているのかわからない状況や物事は人生の中で多くあると思います。しかし、ラハブが二人の人が言われた通りにひもを結んで救われたように、私たちも主のみ言葉に従うならば希望主が必ず平安と将来、希望を与えてくださるということを信じましょう。
2.主の救いの約束を覚えよう
(ヨシュ2:18)でヨシュアは赤い紐を結びつけておくようにラハブにいわれました。また、「結びつけるなら救う」という約束をしました。つまり1本の赤いヒモによって救いがなされるということです。ではなぜ「赤い」ヒモでなければならないのでしょうか?
→赤という言葉はヘブル語でshani(シャニ)と言い、緋(ひ)と訳されます。この緋は辞書では火のような、濃く明るい紅(べに)色のことを指し、聖書では罪を表します。(イザ1:18)緋、紅のように赤くても、神様によって雪や羊の毛のように白くされることができます。
私たちはイエスキリストの流された血によって罪赦され永遠の命が与えられます。(Ⅰコリント11:25-26)では新しい契約が書かれてあります。血が流されることで私たちの罪は洗い流され、救われるのです。つまり、赤い血が流されることによってなくなるのです。神様が与えてくださったこの素晴らしい約束を当たり前のものとせずに感謝していく者になりましょう。
(ヨハ3:16)神様は一人子をお与えになるほどに私たちを愛してくださっています。自分の愛する人を与えるということは到底できることではありません。私はまだ親ではありませんが愛してやまない犬がいます。私が作業をしていると近くで寝ます。ベットに行けば一緒にベットに入ります。いつも私のそばを離れないので、そんな子を名前も知らない人のために捧げなさいと言われたら難しいと思います。しかし、神様は私たち全ての人のために罪のないイエスキリストの血によって私たちを罪から救歌目に尊い一人子を捧げてくださったのです。このキリストを信じることで私たちは救いが与えられるという希望が与えられています。
また、(創世記9:12-16)にあるノア契約では虹によって私たちの目にも見える形で神様が一方的に契約を結びました。人間は繰り返し罪を犯してしまうにも関わらず、神様はその大きな愛によってもう2度と、決して滅ぼさないことと、罪人の私たちに対して「生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」(創世記9:7)と約束してくださったのです。何度も神様に対して罪を犯してしまう人間に対してますます増えていくようにと言われる神様のその大きな愛を私たちは決して忘れないようにしていきましょう。
3.与えられている救いに感謝して救いを宣べ伝えよう
(ロマ10:9-13)を開きましょう。私たちは何かをすることによって(行い)救われるのではなく、信じるだけで救われます。(エペソ3:6)を開きましょう。本来、契約というものはイスラエルに与えられているものですが主を信じた者はその信仰によってアブラハムの子孫とされ、同じ契約に預かる者とされ救いの恵みを受け取る事ができます。この救いを私たちは当たり前のものと思わずに感謝していくものになっていきましょう!
また、私たちは恵みによって神様を知ることができ、信じることができます。この大きな恵みを私たちだけのものにせず、まだ神様のことを知らない人々に大胆にイエスキリストを伝えていきましょう!(ロマ10:17)信仰は聞くことから始まるのです!だからこそまだ御言葉を知らない人々には私たちが伝えていかなければならないのです!誰かが声を出さなければ御言葉は広がっていかないのです!この素晴らしい恵み、そして神様が与えてくださっている希望を私たちは惜しむことなく伝える者へとなっていきましょう。