15.7.26

生きている希望

1ペテロ1:3

希望とはなんでしょう。あることの実現をのぞみ願うことであり、将来に対する期待でもあり、また、明るい見通しです。キリスト教での神学的な3つの美徳「信仰、希望、愛」の一つです。聖書を源としない望みは人間的な望みであり、必然的に消えゆくのです。(箴言11:7、1ペテロ1:24-25、エレミヤ17:5-7
ただし、希望をもったり、祈ったりするだけでなく、行動することも大事です。マタイ6:11では日ごとの糧を与えてくださいとありますが、2テサロニケ3:10では、実際に働くことを勧めています。これらは矛盾した命令ではありません。私たちは生きるために必要な物のために祈りますが、天から落ちてくるのを待つ必要はないのです。神様が与えてくださった力や体で働く必要があります。
本当の希望の性質について学びましょう。

1.本当の希望は、知識に基づきます。

神様が将来、私たちに啓示される栄光というのは、非常にすばらしいものです(ローマ8:18)。私たちは神様の栄光を待ち望み、どんな患難の中にあっても喜ぶことができるのです。それどころか患難さえ喜べるのです。なぜなら忍耐、品性、希望を生み出すからです(ローマ5:2-5)。試練を通して忍耐が与えられます(ヤコブ1:2-3)。
このことから、本当の希望とは、私たちが置かれている状況によって心に抱く感情から来るものではなく、神様の御言葉の知識から来るものと教えます。もし感情から来るものであるならば、悲惨な状況の時には希望を持つことは決して出来ないでしょう。神様の御言葉をを知っていれば、最悪の状況でいるときでさえ生きることを期待できるのです。

2本当の希望は本当の救いの結果

イエス様を信じて新しく生まれた者には希望があります(1ペテロ1:3)。どうして神様は私たちを新しく生まれさせたのでしょうか?それは生ける望みを持つようにしてくださるためでした。
イエス様に対する信仰と、兄弟姉妹に対する愛は、本当の希望に基づいています。その希望は天に蓄えられています(コロサイ1:4-5)。キリストは私たちの確かな希望であることがわかります(Ⅰテモテ1:1)。私たちがキリストを信じる時、天国に行くことが出来る希望を持つことが出来ます。救いは私たちの主イエス・キリストが私たちに下さった希望なのです。

3本当の希望は神の御言葉の学びから切り離すことはできない

聖書は私たちに希望を抱かせます(詩篇119:49、130:5)。エマオへの道を行く二人の弟子の話を思いだして下さい(ルカ24:32)。彼らの悲しみは取り去られました。神様の御言葉を理解した時に彼らには希望を持つことが出来ました。この弟子たちには希望を持ちなおすことが出来ました。
あなたには希望がありますか?もし失っていかけているのであれば、次の箇所を覚えて下さい。(Ⅱコリント4:16)。

4本当の希望は意志の確認です。

希望を持つことも、希望を捨てることも、私たちはどちらも選ぶことが出来ます(へブル10:23)。これは神様の命令です。私たちには聖霊の助けによって選べるのです。希望をもつことを確かにしてくださるのです。神様の命令は私たちが出来ないことは与えられません。キリストがまた戻られる希望を持っていますから私たちの希望は確かなものとなるのです。私たちはキリストの体である教会です。お互いに励まし合います。

もしある兄弟が信仰が弱くなっていたら励まさなければなりません。一緒に集まることをやめたりしないで、神様が私たちに集まることを命じられていることを思い出さなければなりません。どうぞあなたの兄弟姉妹を励まして、共に希望のない所から、希望のある所に目を向けて下さい(へブル10:24-25)。

私たちは、希望のない世界にあって、本当の希望を持つ必要があります。人々がキリストと関係を持ち、希望を持つことができるように助けます。イエスキリスト自身が私たちの希望です。本当の希望を持つためには本質的なイエス様との親しい交わりが必要です。信じない人は希望が必要です。ですから私たちは福音を宣べ伝える必要があります。彼らに向かって、聖霊の力によって新しく生まれ変わるならば生きた希望を持つことが出来ます(Ⅰテモテ1:1、ヨハネ3:3、ヨハネ3:36、Ⅰペテロ1:3)。

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