17.2.19.
目を覚まし、慎み深くあれ
Ⅰテサロニケ5:1-11
Ⅰテサロニケ5:6には、「目をさまして、慎み深くしていましょう」とあります。
聖書の中で、何度も「目を覚ましているように」と警告がされています。
「目を覚ましている」とは、どういうことなのでしょうか。
1.自分の今の霊的状態に気を付ける
「目を覚ましている」ということは、「霊的に目覚めている」ということです。
そして、霊的に目覚めている人は、常に自分の霊的な状態に気を付けています。
眠っている人は、自分が眠っている間、自分の状態に気付きません。
同様に、霊的に眠ってしまっている人も、自分の霊的な状態が分かっていません。
自分の霊的状態について、気が付いていないということは、危険なことです。
「自分は大丈夫だ」と、何の危機感もなく、安心し切ってはいないでしょうか。
今の自分の霊的状態について知っているでしょうか。それはどんな状態でしょうか。
もう一度、自分が霊的にどのような状態にあるのか顧みてみましょう。
毎週、教会に来て礼拝をささげていても、
心は神様から離れ、信仰も冷たくなっていないでしょうか。
形だけ、表面的な信仰生活になっていないでしょうか。
霊的に眠ってしまっていると、御言葉を聞いても、頭を通り過ぎるだけで、
御言葉が理解出来ず、悟れません。
そして、神様のことが分からなくなったり、信じられなくなってしてしまいます。
心や思いがこの世のことに捕らえられてしまい、一杯になっていないでしょうか。
神様のこと、神様を求めること、神様に従うこと、神様に仕えること、よりも、
この世の魅力や楽しさに心が惹かれ、それらで心や思いが支配されていないでしょうか。
また、聖書は、「慎み深く」しているようにとも語っています。
「慎み深い」とは、「遠慮がちで、控えめにしている」という意味だけではありません。
「心を引き締めて、軽はずみな言動をしない」という意味があります。
英語聖書では「酔っていない。しらふな。冷静な。」という意味の言葉が使われています。
ですから、「慎み深く」あるということは、しっかりと地に足を着けた歩みをすることです。
それは、御言葉を信仰と人生の土台として、御言葉に従った歩みをするということです。
常に主を求め、主との親しい交わりを持ち、主の御言葉に従いましょう。
2.自分の将来の状態に気を付ける
私たちが、現在、霊的に目覚めた慎み深い生き方をするためには、
将来に対しても目を向けなくてはなりません。
① 再臨の備え
天に帰られた主イエス様は、もう一度この世界に帰ってこられます。使徒1:9-11。
主の再臨は、聖書の様々な箇所で預言されていることで、必ず起こることです。
しかし、その日は、いつ来るかは誰も知りません。
Ⅰテサロニケ5:2には「主の日は夜中の盗人のように来る」とあります。
ですから、私たちは、主の再臨に対して備えをしておかなくてはなりません。
イエス様は、「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、
知らないからです」(マタイ24:42)と語られました。Cf.マタイ24:44。
イエス様は、再臨の前兆について、弟子たちに教えられました。マタイ24:3-14。
今日の世界情勢などを見る時、これらの出来事や現象は既に現れていると言えます。
つまり、イエス様の再臨は、近づいていると言えるのです。
聖書は、再臨がどのようにおとずれるのかということも教えています。Ⅰテサロニケ4:16,17。
クリスチャンたちが天に挙げられると、
この地上は未だかつてなかったような患難を迎えます。マタイ24:21。
それは、神様を信じず、神様に反逆するこの世に対する神様の裁きの時です。
しかし、イエス様は、再臨によって、私たちを大患難から守って下さるのです。黙示3:10。
イエス様の再臨までまだ時間があるように感じられても、
私たちは、主がすぐそこまで来ておられることを意識した生き方をしなければなりません。
② 死後の備え
私たちはみな、いつか死にます。この地上での生涯を終える時が来ます。
しかし、それで、全てが終わってなくなるのではありません。
その時、「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝道12:7)のです。
そして、「人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)のです。
そして、正しい者(義人)たちは「永遠のいのち」(天国)に入り、
悪い者(罪人)たちは「永遠の刑罰」(地獄)に入るのです。マタイ25:46。
天国も地獄も本当に存在します。その様子は、ルカ16:19~31に描かれています。
「アブラハムのふところ」(22)とは「パラダイス」すなわち「天国」のことです。
「ハデス」(23)とは「地獄」のことで、「炎」(24)が燃え、そこで人々は永遠に苦しみます。
この天国と地獄の間には「大きな淵」(26)があって渡ることは出来ません。
愛なる神様は、人間が地獄に行くことを望んではおられません。
神様は、御子イエス・キリストを遣わし、
信じる者が天国に行くことが出来る道を用意し下さいました。ヨハネ3:16。ローマ6:23。
神様が人間を地獄へと行かせるのではなく、神様の愛を拒んだ者が地獄へと行くのです。
今、私たちは、自分が死んだ後、どこで、どう過ごすのか決めなくてはなりません。
「今は恵みの時、今は救いの日です。」Ⅱコリント6:2。
死後の世界のことに目覚め、今というこの時に、イエス・キリストを救い主として信じ、
神様に立ち返らなければなりません。
自分では大丈夫だと思っていても、霊的に眠ってしまってはいないでしょうか。
平和と豊かさの中、また忙しさの中、神様を求めなくなり、神様との交わりが薄れ、
神様から離れてしまい、霊的に眠り込んでしまい、霊的に死ぬことがないように、
絶えず主に心を向けて、主を心から慕い求めましょう。
また、自分の将来にも目を向け、再臨の準備、死後の準備もしておきましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師