15.9.20.

目を覚ましなさい

黙示3:1-6

サルデス教会に対するメッセージから、主が語り掛けておられることに耳を傾けましょう。
サルデス教会はどのような教会だったのでしょう。
主はサルデス教会にどのようなメッセージを語られたのでしょう。

1.生きているが死んでいる

サルデス教会に対する主の評価は良いものではありませんでした。
主はサルデス教会に「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」と、
厳しい叱責の言葉をかけられました。
・”…you have a name that you are alive, but you are dead.”NKJ。
「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。」新共同訳。
たとえば、サルデスの教会は、賛美が盛んで、熱心な祈りがささげられ、
活発な活動がなされている教会だったのかもしれません。
しかし、主はサルデス教会に対し、「実は死んでいる」と語られたのです。
リビングバイブルでは、「わたしは、あなたが、生き生きした活動的な教会だという
評判とは裏腹に、実際には、死んだ状態にあることを知っています」と訳されています。
彼らは形式的、表面的、律法的になっているだけで、
神様との親しい交わりはなく、喜びも満足も感謝もなかったのかもしれません。
彼らの霊的状態は「死んでいる」のと同じで、サルデス教会「死んだ教会」だったのです。
ですから、信仰においても、伝道においても、成長は見られなかったことでしょう。

2.目を覚ましなさい

霊的に死んでいるサルデス教会に対して、主は「目をさましなさい」と語られました。
過去に、油断していたために町を攻め取られたサルデスの人々にとって、
「目をさましなさい」という警告は、意味深いものだったことでしょう。
では、「目を覚ましている」とは、どういうことなのでしょうか。

① 自分の霊的状態を知る

サルデス教会は祈りや賛美が盛んで、様々な活動が活発に行われていたのかもしれません。
それで、「自分たちは十分頑張っている、大丈夫だ」と考えていたかもしれません。
しかし、主は自己満足の中に眠っていたサルデス教会に語られました。
「わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。」(2)
サルデス教会は自分たちの霊的状態に気が付いていなかったのです。
彼らは、神様との生きた関係や交わりがなくなってしまい、
喜びも情熱もない形式的で表面的な信仰や奉仕となってしまっている状態について
何も感じなくなっていたのでしょう。霊的に眠ってしまっていたからです。
眠っている人は、自分がどのような状態でいるのか分かっていません。
ですから、霊的に目覚めるということは、
自分が霊的にどのような状態にあるかということに気が付き、知るということです。
「自分は今の状態で大丈夫だ」と、何の危機感もなく、安心し切ってはいないでしょうか。
自分自身の霊的状態を顧みてみましょう。

② 絶えず祈り主を求める

「目を覚ましている」ということは、絶えず祈るということです。
マタイ26:41。エペソ6:18。コロサイ4:2
霊的な死とは、神様との生きた関係や交わりの断絶と言えます。
サルデス教会の信者たちは、平和と豊かさの中で神様を求めることがなくなり、
神様の親しい交わりから遠ざかり、次第に霊的に眠り込み、死んでしまったのです。
私たちは、祈りによって神様に近づき、神様との親しい交わりを持てます。
そして、祈りの中で、神様の恵み、聖霊に満たされ、いのちと力が与えられるのです。
祈りは単なる願い事をすることではなく、神様との会話であり交わりです。
問題や何かの必要があってもなくても、神様を求めて祈りましょう。
ただ自分の願い事を神様に祈り求めるだけではなく、神様ご自身を求めるのです。
特に、異言の祈りは、私たちの霊が父なる神様に直接語りかけるものであり(Ⅰコリント14:2)、
私たちの信仰の徳を高め、強めて、生き生きとしたものとします(同14:4)。
また、異言で祈っている時に、聖霊が祈るべきことも教えて下さいます。

③ 主の再臨を意識した生き方をする

聖書で「目を覚ましている」ことと関連して語られているもう一つの事柄は「再臨」です。
天に帰られたイエス様は、再びこの地上に帰って来られます。使徒1:11
しかし、その日がいつであるかは誰も知りません。
ですから、「目をさましていなさい」と言われています。マタイ24:42,44
サルデスの人たちにとって「目をさましなさい」というのは、
「敵が迫っていることに気づいて、対処しなさい」という意味でした。
私たちも主の再臨が迫っていることを意識した生き方をしなければなりません。
「まだ大丈夫だ」と間違った安心感を持ち、世の人々と同じような生き方をしているなら、
霊的な暗闇の中で、霊的に眠ってしまっている状態です。
イエス様の再臨までまだ時間があるように感じられても、
イエス様がいつ帰って来ても、イエス様を迎えられるよいように、
名ばかりの霊的に死んだクリスチャンではなく、
生きたクリスチャンとして相応しく生きることが求められています。Ⅰテサロニケ5:1-8

主は、霊的な命のない死んだサルデス教会が目覚め、生き返るために、
もう一度、信仰の原点に立ち返り、それを守り、神様を求めるようにと語られました。(3)
自分の霊的状態に気を付け、祈りによって神様との生きた関係と交わりを保ち、
主の再臨に備えた聞き方をする者となりましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師