使徒16:16-34、詩篇34:1-7

25.7.13.

賛美には力がある。なぜなら、賛美の中に力ある主が臨在されるから(詩22:3)。使徒16:16-34には、その実例となる話がある。

1.どのような状況でも賛美する

パウロとシラスは、ピリピの町で「占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った」(16)。彼女はパウロたちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道を…宣べ伝えています」と叫び続けた(17)。彼女が言っていたことは間違っていなかったが「何日もこんなことをするので、困り果てた」(18)。これを見た町の人々が、パウロとこの占いの女を仲間と勘違いしてしまうからである。それは、伝道の大きな妨げであった。そこで、パウロは、「イエス・キリストの名によって」、彼女から占いの霊を追い出した(18)。

「彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。」(19) 彼らは、パウロたちが「ユダヤ人で」、「町をかき乱し」(20)、ローマ人が受け入れない「風習を宣伝して」いる(21)と訴えた。そこで「長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた」(22)。「そして何度もむちで打たせてから二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた。」(23)

パウロたちは、何も罪を犯していないのに、捕らえられ、人々の前で着物をはがれ、何度もムチを打たれ、牢に入れられ、足かせをはめられてしまった。パウロたちは、心も体も傷つき痛んだことだろう。普通は、怒りや不満が口から出ても当然な状況だった。しかし、「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。」(25) 人生には、様々な問題や困難があり、悩み、苦しみ、失望し、落ち込み、悲しむ時がある。そのような時、希望の光の見えない、真っ暗な「真夜中」のように感じるかもしれない。しかし、そのような時こそ、主を賛美することが必要なのである。

2.主と主の恵みに心を向ける

詩篇の中で、ダビデも次のように告白している。「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。」(詩34:1)ダビデがこのように告白した時は、問題がない時ではなく、人生の試練の時であった。どうしたら、私たちもいつも主を賛美することが出来るのか。

① 主のご性質に思い起こす

目の前の問題や周りの状況だけを見るなら、賛美など出来ない。余計に落ち込む。私たちの思いを主に向け、主がどのようなお方であるかを思い起こさなければならない。主は良いお方、主は愛して下さるお方。主は全てをご存知、私たちの人生に良い計画を持っておられる(エレ29:11)。主は、私たちのために全てを益にして下さるお方(ロマ8:28)。状況がどうであっても、どのように感じても、主の変わらないご性質に信仰の目を向ける。「主を仰ぎ見ると 彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。」(詩34:5) Cf. ヘブ12:2-3。

② 主の恵みを思い起こす

これまで主がどんなことをして下さったかを思い出さなければならない(詩103:1-5)。主は、これまでどんなにか私たちを守り、助け、支え、導いて下さったことか。主が私たちに与えて下さった恵みを忘れてはならない。主は、パウロに「わたしの恵みはあなたに十分である」と語られた(Ⅱコリ12:9)。特に、忘れてはならない主の恵みは、イエスが私たちのために死なれたということ。イエスは、私たちを救うため、十字架にかかって死んで下さった。これこそ、私たちが賛美をささげる最大の理由と言える。イエスが十字架の上で、私たちのため大きな犠牲を払われたことを忘れてしまってないか。何度も聞き過ぎて、もう当たり前のことになってしまっていないか。主の恵みを思い起こす時、感謝が生まれ、それは神への賛美となる。

3.賛美を通して現される神の力

パウロとシラスが賛美していると、「ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」(16:25)。牢の中に響き渡ったパウロとシラスの賛美は、精神的・肉体的に苦しんでいた囚人たちを慰めるものとなった。それは、彼らの歌声が美しかったからでもなく、上手に感動的に歌えたからでもない。賛美することによって、それを聞く人の心が主に向けられ、信仰が強められ、あらゆる重荷や悩みから解放されるから。賛美は、聞く人たちにも癒しと解放を与える。「私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。」(詩34:2)新共同訳「私の魂は主を誇り 苦しむ人は聞いて喜ぶ。」

また、賛美することによって、状況さえも造り変えられる。パウロとシラスが賛美していると「すると突然、大きな地震が起こり、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。鎖が解けてしまった」(16:26)。堅固な獄舎の土台は揺り動かされ、しっかりと鍵が掛けられた扉は打ち破れ、頑丈な鉄の鎖も断ち切られて、パウロたちは解放された。なぜなら、賛美の中に主が臨在され、働かれるから。詩22:3。

ヨシャパテ王は襲ってきた敵に対して、賛美をもって立ち向かった。そこに主が働いて、ヨシャパテに勝利を与えられた。Ⅱ歴20:21-22。賛美の中に主が働いて下さり、考えられないような神の力ある業が現される。

 

目の前の問題や周りの状況また人だけを見るなら、賛美することは出来ない。しかし、そのような時こそ、主を賛美しよう。私たちの思いを主に向け、主がどのようなお方であるかを思い起こそう。これまで主がどんな恵みを与え下さったかを思い出そう。信仰の目をもって主を見上げ、主の恵みを覚え、賛美をささげよう。主の臨在に満ち溢れた賛美には驚くべき力が現される。

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