神の主権を認めたシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ
ダニエル3:1-30
210926
私たちは、「神を信じているなら、神が災いから守ってくださる」と信じます。しかし現実は、熱心なクリスチャンでもコロナにかかったり、災害に遭ったりします。そのため、「信仰しても意味がない」とか「神には力がない」と思う人もいるようです。しかし、それが真の信仰といえるでしょうか。ダニエルの3人の友人である、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの信仰から学びましょう。
Ⅰ 真の支配者は神
ネブカデネザルを王は、高さ約30mほどの大きな像を作り、全国の役人たちや民衆を招いて像の奉献式を行いました。この中には、ダニエルの3人の友人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがいました。王は像を拝むように命じ、拝まない者は、火の燃える炉に投げ込まれるという法令を定めました。
しかし、この3人のユダヤ人は像を拝みませんでした。3人は、王の前に立たされた時、はっきりと次の言葉を言いました。
① 神は火の燃える炉から私たちを救い出される(ダニエル3:177)
火の燃える炉の中に投げ込まれたら、すべては焼き尽くされます。自然の法則です。しかし、神はその自然の法則に逆らうようなこともできるという信仰です。
主イエスも、水をぶどう酒に変えたり、パンと魚を増やして人々を満腹させたり、水の上を歩いたりしました。神にとって不可能はひとつもありません(ルカ1:37、18:27、エレミヤ32:27)。神は水からも火からも私たちを救い出すことができるのです(イザヤ43:2)。彼らは神が救って下さると信じたのです。
② もしそうでなくても、真の神以外のものを拝まない(ダニエル3:18 )
この言葉は、神が自分を助けてくださるという信仰だけでなく、神が自分を助けなかったとしても、神だけを礼拝するという信仰です。彼らが真の神の権威を認め、神を神として認めていたという証です。
「もし神が助けてくださらないなら、私は神を信じない」という信仰は、神を神として認めていないということです。すなわち、自分を神より上に置いているのです。自分が神に従うのではなく、神を自分に従わせようとしているのです。
本当の信仰は、神の主権を認めることです。ですから、もし自分に不利なことがあったとしても、神を信じ、神に仕え、神を礼拝します。そのような真の信仰のあるところに神の力が現わされるのです(Ⅱ歴代誌16:9)。
Ⅱ 真の信仰は神との日々の交わりの中から育つ
① 祈ろう
祈りは一方的に願い事を言うことではなく、神に聞くことでもあります。祈りは神との会話であり、多くの会話によって神を知ることができ、信仰が成長するのです。
② 御言葉を聞こう
信仰は御言葉を聞くことで強められます(ローマ10:17)。神の御言葉を聞き、神を知ることで、神に信頼するようになるのです。私たちは日々御言葉を学びましょう。そして神を求め、神を知りましょう(ホセア6:3)。毎日聖書を読みましょう。そしてともに集まり御言葉に耳を傾けましょう。
③ 聖霊に満たされよう
聖霊が注がれると私たちは強められます(使徒1:8)。私たちの信仰を真に強めるのは聖霊の油注ぎです。聖霊は求める者にそそがれます(ルカ11:13)。人間の意志は弱いので、日々聖霊に満たされましょう。
シャデラクたち3人は火の燃える炉に投げ込まれました。しかし、主は御使いを遣わし、3人を守ってくださいました。それは彼らが神を神として認め、神に信頼し、神に従い通したからです。
さらに、この出来事でバビロン帝国中の人々が神を神として認めるようになりました。こうして神の栄光が現わされたのです。
私たちが日々、神との交わりを持つことで、私たちの信仰は成長し、神の素晴らしい御業を見るようになります。神を求めていきましょう。
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