神中心の考え方をする
箴言3:5-6

21.11.21.
世の中には様々な考え方がありますが、大きく二つに分けることが出来ます。それは、「人間中心の考え方」と「神中心の考え方」です。「人間中心の考え方」とは、「人間の視点に立った考え方」、「この世的考え方」です。「神中心の考え方」とは、「神の視点に立った考え方」、「聖書的考え方」です。
1.「人間中心の考え方」 : 「この世的思考」
「人間中心の考え方」は、「ギリシヤ的考え方」(ヘレニズム)と言われ、古代ギリシヤで誕生し、ローマ帝国時代を経て、現代まで続いている考え方です。今日、「人間中心の考え方」は、世界中の人々の考え方となり、その「人間中心の生き方」の土台となっています。
「人間中心の考え方」は、物事を論理的に解釈し、理解していく考え方です。ですから、論理的に説明出来ないもの、科学的に証明出来ないもの、人間の知性や経験で理解出来ないものは、受け入れず、信じません。例えば、目に見えない神の存在は、科学的に証明出来ないので、信じません。神による天地創造、紅海が分かれる奇跡、イエスの処女降誕や復活や様々な奇跡も、論理的に説明出来ず、理解出来ないので、信じません。「人間中心の考「人間中心の考え方」は、無限の神を小さくし、人間のレベルえ方」では、聖書を理解することは出来ません。逆に、矛盾や疑問が生じ、神に対して疑いを持ち、不信仰になるだけです。に引き下げてしまいます。人間の知性、理性、感情、経験などによって、神と神の御業を限定してはなりません。偉大な神を人間の思考の中に閉じ込めてしまってはなりません。
また「人間中心の考え方」から生まれたのが「ヒューマニズム」です。「ヒューマニズム」では、「人権」が一番大切なものであり、それによって、行き過ぎた人権尊重や個人主義が生まれています。どこまでも、個人の自由と権利を主張していくのです。「ヒューマニズム」の根底にあるものは、神の権威と秩序の否定です。神がアブラハムに息子イサクをささげるように命じたことや、イスラエルにエリコの人々を聖絶するように命じたことなどは、「人間中心の考え方」では、神について残酷な酷い神というイメージを持ちます。また、神がエサウではなく、ヤコブを選んだということも、自由、平等、博愛という「ヒューマニズム」で理解しようとすると、神は人を差別する酷い神に見えてしまいます。
今日、世界でも、日本でも、社会は混乱し、様々な問題が起こっています。家庭崩壊、いじめ、ひきこもり、そして自然破壊、気候変動など。これらは、神の権威を認めず、神の秩序に従わないことから起こっているのです。
2.「神中心の考え方」 : 「へブル的思考」(ヘブライズム) : 「聖書的思考」
「神中心の考え方」は、「聖書的考え方」であり、神を神として認めることから生じる考え方です。この考え方は、「へブル的考え方」(ヘブライズム)と呼ばれています。
聖書は、「初めに、神が天と地を創造した」(創1:1)という言葉から始まっています。神が、全てを造り、全てを定め、全てを支配しておられる絶対的なお方、神が、全ての主権者であられるということです。神が、全てのものの最初となるべきお方、「神様ファースト」なのです。人間が理解出来なくても、納得出来なくても、どう感じようとも、神がされることは、全て真実で正しいのです。どんなに神が不公平で、残酷な酷い神に見えても、神は真実で正しいのです。
聖書に登場する信仰の人たちは、「神中心の考え方」を持っていました。神は、アブラハムに、やっと与えられた最愛の息子イサクをささげるように言われました。人間的に考えたら、イサクを殺してしまったら、子孫は絶たれてしまいます。アブラハムは、この神の言葉にどのように応じたでしょうか。翌朝早く、アブラハムはイサクを連れて指定されたモリヤの山に行き、そこでイサクを殺していけにえとしてささげようとしたのです。アブラハムは、自分の頭で理解出来なくても、神の言葉に従いました。アブラハムは、神に説明を求めることもしませんでした。アブラハムは、人間中心の考え方ではなく、神中心の考え方をしていたのです。アブラハムは、神が絶対者なる方、主権者であることを認め、その神を信じて、神が言われることに従ったのです。
信仰とは、理解することではなく、神の言葉を信じることです。「神中心の考え方」は、神と神の言葉に対して「アーメン」と応答することです。人間は、神がなさることについて、全てを完全に理解することなど出来ないのです。また、私たちが全てを知り、全てを理解する必要などないのです。ヘブ11:8。論理的に説明出来なくても、矛盾を感じていても、納得出来なくてもよいのです。ただ、神が愛なるお方であり、神が良いお方であり、神が正しいお方であり、神には間違いがなく、神がなされる事は良い事であると知っていれば良いのです。伝3:11。どのような時にも、「神は絶対的な主権者である」、「神は愛である」、「神は良いお方である」、「神には間違いなどない」と信じなければなりません。
私たちは、神無しの「人間中心の考え方」の社会に生きています。気を付けないと、知らず知らずの内に「人間中心の考え方」の影響を受けてしまいます。「人間中心の考え方」で聖書を理解しようとしていないでしょうか。また、聖書の教えを、自分に都合良く解釈して、結局聖書の教えを無にしてしまってはいないでしょうか。「神中心の考え方」「聖書的思考」は、幼子のように、神の言葉に従うことです。それは、神の絶対的な主権を認めることになるのです。そして、神の主権を認め歩むとき、神が私たちの人生を導いて下さるのです。箴3:5-6。「神中心の考え方」すなわち神の主権を認め、神の言葉に聞き従って歩みましょう。
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