16.10.23
神様がともにおられる
――目が開かれて分かること――
Ⅱ列王記6:8-23
私たちの人生では、うまくいかないことやトラブルが生じたりするものです。しかしそのとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。そして何を知るべきなのでしょうか。アラムの王の軍隊がエリシャたちを攻撃してきた出来事を通して学んでみましょう。
1.物事がうまくいかないときは、みことばに照らして反省する
アラムの王は、何かにつけてうまくゆかず、その怒りを預言者エリシャに向けました。物事がうまくいかないのは神様のせいではなく、イスラエルに敵対し、神様に敵対していたからです。神様の御心ではないことをしていたからなのです。にもかかわらずエリシャに敵対することは、ますます神様に敵対することになるのです(箴言19:3)。
私たちも、いろいろと失敗が続いたり、苦しいことがあると、どうして神様は私を祝福して下さらないのかと神様に対して怒ることはないでしょうか。そのような時はみことばに照らして静かに反省しましょう(伝道7:14)。
2.神様に祈り、みことばを聞くと、平安が与えられ、守られる
エリシャに仕える若者は、敵に取り囲まれて恐れ惑いました。そしてエリシャに助けを求めました。私たちも苦難の時は主に祈り、助けを求めることができるのです(詩篇50:15)。
するとエリシャは「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と神様のことばを伝えました。そしてエリシャの祈りにより、彼は目が開かれて、たくさんの火の馬と戦車が山に満ちているのを見て、神様に守られていることを知りました。恐れる必要はなかったのです(イザヤ41:10、詩篇46:1-3)。
霊の目が開かれた人は、神様に愛され、守られていることを知り、平安が得られるのです(ヨハネ14:1)。
3.神様の御心は高く、従うと素晴らしいことがおこる
続いてエリシャは、アラム軍の目が見えなくなるように祈ると、彼らはあっけなく何もできなくなってしまい、エリシャによってサマリヤへ連れていかれました。
神様を信頼する正しい者たちは守られ、神様に敵対する悪者は滅びに向かうのです(詩篇1:1-6)。
アラム軍は目が見えないまま、サマリヤに引かれて行くと、エリシャの祈りによって再び目が見えるようになり、自分たちが敵の真ん中にいることが分かりました。そのとき彼らは、死を覚悟したことでしょう。これまでイスラエルの神様に敵対して歩んできたのですが、このとき、その誤りに気づき、国に残した家族を思いながらここで死ぬのだと悲しんだことでしょう。
イスラエルの王は彼らを殺そうとしましたが、エリシャによって止められました。
それどころか、エリシャは、彼らに飲み食いさせて主君のもとに返すようにと言いました。そこで、それが神様のみこころならばと、イスラエルの王は彼らを盛大にもてなし、彼らの主君のもとに返しました。
アラム軍の兵士たちは、主君のもとに帰り、そしてそれぞれの家に帰って家族と再会し、家族ともども、生きて帰って来たこと、もてなしまでされたことを、泣いて喜んだに違いありません。心から感謝し、イスラエルの神様こそ本当の神様だと気づいたことでしょう。そしてもう二度とイスラエルに侵入しませんでした。
この悪いアラムの軍が滅ぼされなかったのは、まさにこれが神様の御心だったからです。神様はご自分に敵対してくるような悪者をも愛しておられます。そして悪者たちも悔い改めて生きてほしいと願っておられます(ヨナ4:11)。私たちが神様のみことばに従うと、思いもよらない素晴らしいことが起こるのです(イザヤ55:8-9)。
私たちが神様に従う者となるためには、苦しい時にも神様を呼び求め、みことばを聞き、神様の御心を知り、悪者をも愛する愛を持つことが必要です(マタイ5:43-48)。
本当に目
が開かれた人は、神様が愛なる方であることを知るのです(Ⅰヨハネ4:16)。
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