16.4.10.

立ち直らせて下さる復活の主

ヨハネ21:15-23

イエス様の復活の後、ペテロと他の弟子たちは再びガリラヤに戻り、漁をしていました。
そこにイエス様が来られ、弟子たちは岸辺でイエス様と共に朝の食事をしました。
その時、イエス様は、特別に個人的にペテロに語りかけました。

1.ペテロに悔い改めの機会を与えるイエス様

イエス様は、ペテロに3回「あなたはわたしを愛しますか」と問いかけられました。
ペテロは、イエス様が同じ質問を3回も繰り返されたので、心が痛みました。
ペテロにはイエス様を裏切ってしまったという心の痛みがあったのです。
最後の晩餐の時、彼は決してイエス様を否定するようなことはないと主張していました。
マタイ26:33。マルコ14:31。ルカ22:33
そんなペテロに、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、
あなたは三度、わたしを知らないと言います」(ルカ22:34)と言われました。
その後、イエス様が捕らえられてしまうと、みなイエス様を置いて逃げてしまいました。
ペテロは、カヤバの官邸まで行き、少し離れた所で焚火に当たりながら、
イエス様が取り調べを受けている様子を見ていました。
その時、ペテロは3回イエス様の弟子であることを指摘されましたが、
3回ともイエス様を否定してしまったのです。すると鶏が鳴きました。Cf.ルカ22:54-62
ペテロはイエス様の言葉を思い出し、「外に出て、激しく泣いた」(ルカ22:62)のでした。
ペテロは自分の弱さ、無力さ、愚かさ、失敗で心が悲しみで打ちひしがれてしまいました。
しかし、イエス様は、決して怒っていたのでも、ペテロを責めていたのでもありません。
イエス様は、ペテロにやり直し、立ち直る機会を与えられたのです。
ペテロには、イエス様に赦された確信とイエス様との関係を築き直す必要がありました。
それで、イエス様は、3回イエス様を知らないと否定したペテロに、
3回イエス様への愛と忠誠を告白する機会を与えて下さったのです。
私たちも、ペテロのように、自分の弱さ、無力さ、愚かさのゆえに失敗してしまったり、
過ちを犯してしまったりすることがあります。
しかし、主は私たちにやり直し、立ち直る機会を与えて下さっているのです。
主は、私たちが悔い改めることを願っておられます。エゼキエル18:21-23,27-28,30-32
私たちが主の前で正直に罪を言い表すなら、主は私たちを赦して下さいます。Ⅰヨハネ1:9

2.ペテロの純粋な愛を求めるイエス様

イエス様が問われることは、ただイエス様に対する愛だけです。
以前のペテロであったなら、自信をもって「はい、主よ」と答えたことでしょう。
しかし、ペテロは「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と謙遜に答えました。
ペテロは、失敗によって、自分の弱さ、無力さ、愚かさを思い知らされていました。
イエス様が1度目と2度目に「愛しますか」と問われた言葉は「アガパオー」です。
「アガペー」とは、一方的な愛、犠牲的な愛、無条件の愛、神様の愛を表します。
イエス様は「何があっても、一方的に、犠牲を払っても愛しますか」と問われたのです。
それに対して、ペテロが「私があなたを愛する」の「愛する」は、「フィレオー」でした。
「フィリア」は、人間的な愛、友情の愛です。相手の愛に応答する愛とも言えます。
ですから、ペテロの答えは、「自分がイエス様から愛されているから、
ただその愛に応えてイエス様を愛しているだけにすぎません」ということになります。
ペテロは、自分にはイエス様に対するアガペーの愛がないということが分かったのです。
そして、自分がイエス様を愛することが出来るのは、
ただイエス様の愛があるからだけであるということが分かったのです。
人間にはアガペーの愛はありません。人間はやはり自分を一番愛しているのであって、
自分に何か危害が及ぶようなことがあったら、自分を守ろうとするものです。
私たちがイエス様を愛せるのは、ただイエス様が私たちを愛して下さったからです。
ローマ5:6-8。Ⅰヨハネ4:9,10
私たちが心からイエス様を愛する者となるためには、
イエス様がどれほど私たちを愛して下さったかを知る必要があります。Cf.エペソ3:18,19

3.ペテロに使命を託されたイエス様

ペテロが3回「愛します」と応答した後、イエス様はペテロに言われました。
「わたしの子羊を飼いなさい」、「わたしの羊を牧しなさい」、「わたしの羊を飼いなさい」。
イエス様はペテロに、教会を任せるから、彼らを霊的に養い導くようにと言われたのです。
ペテロは、一度はイエス様を否定してしまうという大きな失敗を犯しました。
しかし、そんなペテロにイエス様は、大きな仕事を任されたのです。
ペテロが立ち直り、回復し、新たにやり直すためには、
罪の赦しの確信とイエス様の愛だけではなく、イエス様からの信頼も必要でした。
イエス様は、自信を失っていたペテロに、新しい使命と任務を委ねられたのです。
主は、その人が不完全な者で、たとえ失敗してしまったとしても、
また立ち直り、回復し、やり直す機会を与えて下さるのです。
そのために、敢えて主の大切な働き、大きな働きを委ねて下さるのです。
主は、しばしば失敗し、過ちを犯してしまうような私たちも信頼し、
主の大きな働きや大切な働きを委ねて下さいます。
ペテロは、ヨハネの将来のことが気になり、「主よ。この人はどうですか」と尋ねました。
それに対して、イエス様は「それがあなたに何のかかわりがありますか」と言い、
再び「あなたは、わたしに従いなさい」と語られました。
ペテロにはペテロの使命と務めがあり、ヨハネにはヨハネの使命と務めがあります。
大切なことは、それぞれが主に従い仕える者となるということです。
他の人と比較したり、競争するのではなく、主に従い仕えることが求められています。

この後、ペテロは全力で福音を伝え、教会を導く者となりました。
そして、ネロ皇帝の時代、ローマで捕らえられ、殉教したと言われています。
ペテロは、死に至るまでも、熱心に忠実に主に従い仕え続けたのです。
今日、主は私たちにも語っておられます。
「あなたはわたしを愛しますか」、「わたしの羊を飼いなさい」、「あなたは、わたしに従いなさい」。
私たちも主の御声に従っていく者とならせていただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師