ヨハネ 12:20-32

2025.04.13

今週からクリスチャンにとって特別な週が始まります。
受難週と言われる、イエス様の地上での公生涯の最後の1週間、 どのような思いで過ごされたのでしょうか。


金曜日に十字架に付けられるまでにも、色々多くの苦しみや葛藤を背負って歩まれた人としての受肉されたイエス様の姿に多くの事を考えさせられ、共感する事も多いのではないでしょうか。

主の公生涯で、遣わされた対象がイスラエルの失われた家と語っておられ、私の時はまだ来ていないと語られる事もあった主が、 この祭りの時に訪ねてきた異邦人達に面会するにあたり、 「人の子が栄光を受ける時がきた。」(23節)と語られて、すべての人に神が用意された十字架の贖いの御業がすぐそこに迫っていることを宣言されました。
そして弟子たちの予想を裏切るかの様に、自分の死をもって御業を表すことをはっきりと伝えられました。
「よくよくあなたがたに言っておく。 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。

しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」 (24節) その直後、天からの声があり、父が「わたしはすでに栄光をあらわした。 そして、 更にそれをあらわすで
「あろう」(28節)と十字架の栄光の御業について証言された。

自分の命をも惜しまずに差し出した御子イエスの地上での最後の大きな使命に、天の御父も声を出された。 まさに十字架の御業はたった一度、 すべての人に与えられた神の究極の救いの道であると信じる者には神の力であるとパウロに言わしめた通りである (I コリント 1:18) この素晴らしい福音と主の十字架の救いを世界中に届けようとする教会と宣教の働きの為に、 祈り自ら進んで自分の十字架を負って歩んで行きたい。

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