20.12.6.

キリストの誕生は、それよりはるか昔から、主によって約束されていたことでした。

1.アブラハムの子孫、ダビデの子孫として

① イエスはアブラハムの子孫として生まれた

主は、アブラハムを選び、祝福しました。そして、彼によって「地上のすべての民族」が「祝福される」と約束しました(創12:1-3)。その約束は、アブラハムの子孫にも引き継がれていきました(創22:18)。この「祝福」とは、神の支配による、神の国の祝福です。また、主は、アブラハムの子孫から「王たち」が出ると約束されました(創17:6)。「王」とは、ヘブル語で「メシヤ」(マシアハ)で、「油注がれた者」という意味の言葉です。そして、「メシヤ」のギリシヤ語が「クリストス」で、日本語の「キリスト」です。このように、主は、アブラハムの子孫として生まれる王すなわちキリストによって、全世界の人々を救い、神の国の祝福を与えようと計画していたのです。そして、その約束の通り、イエスは、アブラハムの子孫として生まれました(ガラ3:16)。

② イエスはダビデの子孫として生まれた

ヤコブは、イスラエルの12部族からユダ族が選ばれ、王が出ると語りました(創49:10)。ですから、マタイの系図では、「ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ」(マタ1:2)と、12部族の中でもユダ族だけが言及されているのです。その約束の通り、ユダ族からダビデ王が出て来ました(マタ1:6)。そして、主は、ダビデに、彼の子孫が王国を確立し、その王座を堅く立て、決して絶たれることがなく、永久までも続くものとすると約束しました(Ⅱサム7:12-16)。これは、ダビデの子孫からキリストが登場し、その王国が永遠に続くという約束です。イエスは、「ダビデの子孫」として生まれました(使13:23ロマ1:2-4Ⅱテモ2:8)。

2.イエスは女の子孫として生まれた

「イエス・キリストの系図」は、「父親に息子が生まれ」というパターンになっています。しかし、16節では、「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」とあり、イエス・キリストがマリヤから生まれたと書かれています。これは、一見、当たり前のことのように思えますが、特別なことでした。マリヤとヨセフは婚約していましたが、まだ結婚してなく、夫婦関係はありませんでした。しかし、マリヤは、「聖霊によって」、イエスを身ごもったのです(18)。つまり、イエスは、マリヤからは生まれたが、ヨセフとの間の子ではないということです。このことについての詳しい説明は、ルカ1:26-38に書いてあります。

イエスは聖霊によって、処女マリヤから生まれました。これを「処女降誕」と言います。「処女降誕」は、イエス・キリストが、単なる人間の子ではなく、神の子であり、アダムの罪を受け継いでいない、罪のない聖なるお方なのであることを示しています。

キリストが女から生まれた者となるということは、アダムとエバが罪を犯した直後に預言されていたことでした(創3:15)。これは、蛇すなわちサタンに対する裁きの言葉として語られた言葉です。そして、「女の子孫」とは、処女マリヤから生まれたイエス・キリストです。「おまえの子孫」とは、直接的には「パリサイ人」や「サドカイ人」と考えられます。イエスは、彼らのことを「まむしのすえたち」(マタ3:7)と呼びました。彼らは、常にイエスに「敵意」を持ち、イエスを十字架の死にまで追いやりました。しかし、パリサイ人やサドカイ人の背後で働いていたのは、サタンです。そして、「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」とは、サタンがキリストを十字架の死へと追いやるが、キリストは、十字架の死によって、サタンを滅ぼすということです(ヘブ2:14-15)。

3.主は約束を実現する

「ヨセフは正しい人」(19)でした。これは、「罪のない完璧な人」という意味ではなく、「忠実に律法に従っている人」、「常識的な人」、「ルールを守る人」という意味です。律法によるなら、マリヤは裁かれ、処刑せられなければなりません。しかし、ヨセフは、マリヤを何とか助けようとしました。それで、ヨセフは、マリヤを「内密に去らせようと決め」(19)たのです。婚約関係がなければ、マリヤは姦淫の罪に問われることはなく、死刑を免れました。

しかし、そうすることは、神の救いの計画を妨げ、破壊してしまうことになりました。なぜなら、「ダビデの子孫」であるヨセフがマリヤと結婚したから、マリヤから生まれたイエスも「ダビデの子孫」となり得たのです。しかし、もし、ヨセフがマリヤと結婚していなかったら、マリヤから生まれて来るイエスは「ダビデの子孫」とはなり得ませんでした。ということは、救い主キリストは「ダビデの子孫」として生まれるという旧約聖書の預言も成就しなかったことになり、神の救いの計画は実現しませんでした。

ヨセフがマリヤを「内密に去らせようと決め」た時、「主の使いが夢に現れて」語りかけました(マタ1:20-23)。「インマヌエル」、「神は私たちとともにおられる」とは、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハ1:14)ということです。すなわち、神が私たちと同じ人間となって、この世界に来て下さったということです。マリヤの身に起こっていることは、全てイザ7:14の「預言者を通して言われた事」の「成就」でした。主は、ご自身のご計画、真約束したことを必ず実現される方です(イザ14:2455:10-11)。

 

イエス・キリストは、約束されていたアブラハムの子孫、ダビデの子孫、女の子孫として生まれました。主が語られたことは、「その時が来れば実現します」(ルカ1:20)。イザ9:6-7にも、キリストの誕生についての預言が記されています。その最後に「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とあります。私たちも、主が働かれることを信じて、主に委ねることが大切です(詩37:5)。

Filed under: 伊藤正登牧師