19.8.4.
「聖霊のバプテスマ」について学びましょう。「バプテスマ」とは「沈める」、「浸す」という意味のギリシャ語です。ですから、「聖霊のバプテスマ」とは、聖霊の中に「沈められること」、「浸されること」、すなわち「満たされること」と言えます。
1.聖霊のバプテスマについての聖書の記述
聖霊のバプテスマは、イエスが十字架にかかり、よみがえって後、天に帰られた後に与えられるようになりました。ですから、聖霊のバプテスマについての記述は使徒の働きにあります。
① ペンテコステの日にエルサレムで(使1:1-4)
弟子たちは、「父の約束」である「聖霊のバプテスマ」を待ち望んでいました(使1:4-5)。すると、聴覚的にも、視覚的にも超自然的な現象が現れました(使2:2-3)。そして「みなが聖霊に満たされ、…他国のことばで話しだした」(使2:4)のです。この「他国のことば」とは、弟子たちが知らない言語であり、「異言」のことです。
② サマリヤの信者たちに(使8:14-17)
ペテロとヨハネはサマリヤに行き、信者たちが「聖霊を受けるように」(使8:15)祈りました。彼らは、水のバプテスマを受けていましたが、まだ聖霊の注ぎは受けていませんでした。ペテロとヨハネが「彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を」(使8:17)受けました。その時、魔術師シモンが見て「御霊が与えられる」ことが分かる現象が起こりました。
③ 異邦人たちに(使10:44-46)
ペテロが話をしていると、全ての人に「聖霊がお下りに」(使10:44)なりました。ペテロたちは「異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚い」(使10:45)てしまいました。聖霊に満たされた人たちは、「異言を話し、神を賛美」(使10:46)しました。ペテロは、彼らがペンテコステの日に自分たちと「同じように、聖霊を受けた」(使10:47)ことを認めました。
④ エペソの信者たちに(使19:1-7)
エペソの信者たちは、聖霊について知らない人たちでした。そして「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたり」(使19:6)しました。
2.聖書の記述から聖霊のバプテスマについてわかること
① 水のバプテスマと聖霊のバプテスマは違う
・イエスご自身が、水のバプテスマと聖霊のバプテスマを違うものとして語っています。
・サマリヤの信者たちは、水のバプテスマを受けていましたが、聖霊のバプテスマは受けていませんでした。
・コルネリオの家にいた人たちは、聖霊のバプテスマを受けた後に、水のバプテスマを受けました。
・エペソの信者たちは、水のバプテスマを受けた後に聖霊のバプテスマを受けました。
このように、水のバプテスマと聖霊のバプテスマは違うものです。
② 聖霊の内住と聖霊のバプテスマは違う
イエス・キリストを信じる全てのクリスチャンの内には、聖霊がおられます。しかし、全てのクリスチャンが聖霊に満たされているとは限らないのです。聖霊のバプテスマを受けた人たちは、既に信仰を持っていたクリスチャンたちでした。彼らの内には、聖霊が内住していましたが、聖霊の満たしはまだ受けていなかったのです。また、パウロはエペソのクリスチャンに「聖霊に満たされなさい」(エペ5:18)と命じました。彼らは、クリスチャンですが、聖霊の満たしが必要だったのです。
③ 聖霊のバプテスマには異言が伴う
・ペンテコステの日に聖霊に満たされた人たちは、「他国のことば」で話し出しました。
・コルネリオの家で聖霊に満たされた人たちは、「異言を話し、神を賛美」しました。
・エペソの人たちは、聖霊に満たされ、「異言を語ったり、預言をしたり」しました。
聖霊のバプテスマには、明確で特徴的な現象が伴いました。それは「異言」です。「異言」は、私たちの理解出来ない言語であり、聖霊によって与えられる言語です。聖霊のバプテスマを受け、聖霊に満たされた人は、「異言」を語ることが出来るのです。
3.聖霊のバプテスマを受けることを妨げるもの
① 疑い(ルカ11:9-10)
イエスは、疑わずに、熱心に求め続けるなら、必ず与えられると教えられました。しかし、疑いがあると、求めることが出来ません。聖霊のバプテスマや聖霊の満たしについて、疑いを抱いてはいないでしょうか。聖書は、聖霊に満たされるようにと命じています。ですから、疑わずに、熱心に聖霊のバプテスマと聖霊の満たしを求めましょう。
② 恐れ(ルカ11:11-13)
イエスは、父なる神が与えて下さるものは「良い物」であると教えられました。聖霊のバプテスマや聖霊の満たしには、異言の他にも、しばしば「倒れる」、「震える」、「叫ぶ」、「泣く」、「笑う」などの現象が伴います。その現象を見て、恐れを抱いてしまうことがあるかもしれません。しかし、天の父なる神は、良いお方であり、決して悪い物をお与えになることはありません。
③ 明け渡さないこと(ヤコ3:8)
聖霊の満たしとは、私たちの全てが聖霊によって支配されるということです。聖霊に全てを明け渡さない限り、聖霊に満たされることは出来ません。人間の器官の中で、最後まで明け渡しにくい器官は、「舌」です。この誰にも制御出来ない「舌」の「制御」を主に委ねるのです。すなわち、自分で言葉を語ろうとするのではなく、聖霊に「舌」を委ねるのです。
聖霊のバプテスマを受けることによって、以前は弱く力のなかったクリスチャンに主の証人となる力が与えられます(使1:8) 。聖霊のバプテスマ、聖霊の満たしは、信仰生活になくてはならないものです。疑うことなく、恐れることなく、全てを委ね、聖霊の満たしを祈り求めましょう。