16.5.15.

聖霊の満たしを受けよう

使徒1-2章

「ペンテコステ」は「聖霊降臨祭」とも言われ、
キリスト教会にとって、この日は、聖霊が注がれて、教会が誕生し、
福音宣教の働きが始められた記念すべき日です。

1.父の約束を待ちなさい

イエス様は、天に帰られる前に、弟子たちに宣教命令を与えられました。マルコ16:15
しかし、それだけではなく、イエス様は「エルサレムを離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」とも命じられたのです。ルカ24:49参照。
この「父の約束」とは、聖霊が与えられるという約束でした。ヨハネ14:16-17
聖霊は、「もうひとりの助け主」と呼ばれています。
「もうひとりの」とは、イエス様とは「別の、他の」という意味ではなく、
イエス様と「同じ性質の」という意味です。
聖霊は、イエス様と同じ性質のお方であり、イエス様とは別の存在でもあるのです。
ですから、聖霊が共におられるということは、
イエス様が共におられることと同じことでもあるのです。
また、「助け主」は、ギリシャ語で「パラクレートス」といい、「弁護者(法廷弁護士)」、
「慰める者」、「そばに寄り添う方」、「味方となる方」という意味があります。
新改訳聖書欄外には「援助のためにそばに呼ばれた者、とりなしてくれる人」とあります。
聖霊は、私たちに寄り添い、私たちを助け、導いて下さるお方なのです。
しかし、イエス様が弟子たちに待ち望み、求めるようにと言われたのは、
聖霊の単なる内住ではなく、聖霊の満たしでした。
イエス様は、「父の約束を待ちなさい」と言われましたが、
それは、「聖霊のバプテスマを受ける」ということを意図していたのです。
「バプテスマ」とは「沈める」、「浸す」という意味のギリシャ語です。
ですから、「聖霊のバプテスマ」とは、聖霊の中に「沈められること」、「浸されること」、
すなわち「満たされること」と言えます。
このように、イエス様は、弟子たちに、彼らが福音宣教に出て行く前に、
「父の約束」である聖霊に満たされるようにと命じられたのです。

2.主の証人としての力を得るため

私たちに聖霊が臨み、聖霊に満たされる目的は、
私たちが力強い主の「証人」になるための「力」を受けるためでした。使徒1:8
その「力」という言葉は、ギリシャ語で「デュナミス」で、大きな力を意味します。
また、「証人」という言葉は、ギリシャ語では「殉教者」という言葉が使われています。
「殉教者」とは、信仰のために命を犠牲にする人です。
ですから、「証人」とは、命をかけて福音宣教をする人のことです。
福音宣教の働きは、サタンの領域に乗り込み、攻撃をしかけ、
サタンの支配の元で捕らわれている人々を解放するという霊的な戦いでもあります。
これは、人間的な力で出来ることではなく、聖霊の「力」が必要なのです。
この時、ペンテコステの祭りのために、
エルサレムには、世界各地からやって来たユダヤ人たちが大勢集まっていました。
人々は、弟子たちが自分たちが知らないはずの外国語で喋っているのを見聞きし、
驚き、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言う人もいました。
それに対して、ペテロは、自分たちは酒に酔っているのではなく、
預言者ヨエルが預言していた聖霊の注ぎが自分たちに起こったことを語りました。
そして、それに続いて、ペテロはイエス様の十字架と復活を大胆に人々に語りました。
かつて人々を恐れ、イエス様を裏切ってしまったペテロは、
聖霊に満たされて力強い主の「証人」に変えられたのです。
聖霊に満たされたペテロは、全く違う人に変えられたのです。
私たちが聖霊に満たされる目的は、「力」を受け、主の「証人」となるためです。

3.飢え渇きをもって求める

イエス様を信じる者の内には既に聖霊が内住しておられます。Ⅰコリント3:16
しかし、みなが聖霊に満たされているわけではありません。
イエス様はヨハネ7:37,38で、「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と言われました。
そして、この「生ける水」とは「聖霊」であるとヨハネは説明しています。
「生ける水の川」とは、イエス様を信じる者に聖霊が注がれるという聖霊の満たしです。
この「川」という言葉は、原語のギリシャ語では複数形となっています。
口語訳聖書では「その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」となっていますが、
「その腹から生ける水が川々となって流れ出るであろう」となります。
イエス様を信じている者に与えられる聖霊の満たしは更に大きな「川」となるのです。
聖霊の満たしは、イエス様を信じ者に自動的に与えられるのではありません。
イエス様は、イエス様を信じる者たちにご自分の元に来て、
聖霊を求めるようにと呼びかけておられるのです。
私たちが自らの意思によって心を開き、聖霊の更なる満たしを求めない限り、
聖霊が無理やり私たちを満たすということはありません。
神様は、聖霊の満たしを求める者に聖霊の満たしを与えて下さるのです。ルカ11:9,13
イエス様の昇天後、弟子たちは「みな心を合わせ、祈りに専念していた」とあります。
彼らは、聖霊の満たしを求めて「祈りに専念していた」のです。
飢え渇きをもって聖霊の満たしを求めるなら、神様は惜しみなく聖霊を注いで下さいます。

聖霊は私たちを生き生きとした主の「証人」として歩ませて下さいます。
イエス様は「エルサレムを離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と命じられました。
私たちも飢え渇きをもって、聖霊の満たしを祈り求めましょう。
そして、「力」をいただいて、主の「証人」とならせていただきましょう。