
19.7.7
聖霊は、イエス・キリストを信じる私たちと「ともにおられ」、「ともに住み」、私たちの「うちにおられ」ます。ですから、私たちは「神の神殿」(Ⅰコリ3:16)、「聖霊の宮」(Ⅰコリ6:19)と呼ばれています。私たちは、内に住まわれる聖霊について知っているでしょうか。
1.聖霊の神性と人格
① 聖霊は神である
聖書は、この世界を創造された神が「唯一」なる方であると同時に、「父、子、聖霊」という三つの位格を持つ「三位一体」なる神であると教えています。聖霊は、父と子と同列に同等に表現されています(マタ28:19、Ⅱコリ13:13)。また、聖霊は、「神」と同等に置かれ(使5:3-4)、「主」と呼ばれています(Ⅱコリ3:17-18)。さらに、聖霊には、全能性(ルカ1:35)、全知性(Ⅰコリ2:10-11)、永遠性(へブ9:14)、偏在性(詩139:7-10)など、神としての属性が見られます。
② 聖霊には人格がある
聖霊は、人格を持たれた方です。ですから、聖霊は「それ」ではなく、「その方」(ヨハ14:17)と呼ばれています。聖霊は、知性(Ⅰコリ2:11)、意志(Ⅰコリ12:11)、感情(エペ4:30)を持っておられます。聖霊は、教え(ヨハ14:26)、導き(ロマ8:14)、命じ(使8:29)、語り(使10:19)、
決断し(使15:28)、禁じ(使16:6)たりします。聖霊は、私たちと人格的な交わりを持ち(Ⅱコリ13:13)、私たちと共に働かれます(使15:28)。聖霊は、その本質と属性において父と子と等しく、一つであり、父と子とは別個の人格と役割と働きを持ちつつ、協力関係をもって働いておられます。
2.旧約聖書とイエスの生涯における聖霊の働き
① 旧約聖書における聖霊の働き
a) 聖霊は、父なる神と共に天地創造の業に携わられました(創1:1-2)。
b) 聖霊は、人間にいのちを与えました(創2:7、ヨブ33:4)
c) 聖霊は、特別な時に、特別な人々に、特別な目的のために臨みました。
ベツァルエル(出31:1-5)、ギデオン(士6:14-16,34)、サムソン(士13:25、14:6,19、15:14-15)、
ダビデ(Ⅰサム16:13,18、18:14)、イザヤ(イザ61:1-3)。
d) 全ての人に聖霊が注がれる約束が与えられました。
旧約時代の聖霊の注ぎや働きは限定的でしたが、後の時代、全ての人々に聖霊が注がれる約束が与えられました(ヨエ2:28,29)。そして、「石の心」は「肉の心」に変えられ、主の教え守る者とされます(エゼ11:19-20、36:26-27)。
② イエスの生涯における聖霊の働き
イエスの到来によって、より多くの聖霊の働きが見られるようになりました。
a) イエスの誕生に関わった人々が聖霊に満たされました。
バプテスマのヨハネ(ルカ1:15)、マリヤ(1:35)、エリサベツ(1:41)、ザカリヤ(1:67)。
b) バプテスマのヨハネは、イエスを聖霊のバプテスマを授ける方であると紹介しました(ルカ3:16)
c) イエスは聖霊によって働きをされました。
水のバプテスマを受けた時にイエスに御霊が下り(ルカ3:21-22)、御霊に導かれて荒野に行き(4:1)、聖霊の力を帯びてガリラヤに行き(4:14)、イザヤの預言がご自身に成就したことを宣言し(4:18)、聖霊の力によって悪霊を追い出し、良い働きをされました(マタ12:28、使10:38)。また、イエスは、聖霊を求めるようにと教え(ルカ11:9-13)、やがて聖霊が送られることを教えました(ヨハ14:16-17,26、15:26、16:7-8)。復活後にも、聖霊を求めるようにと命じ(ルカ24:49、使1:4-5)、聖霊に満たされ、力を受けると、イエスの証人となると言われました(使1:8)。
3.イエスの招き(ヨハネ7:37-39)
この「祭り」(37)は、「仮庵の祭り」で、ユダヤ人たちがエジプトを脱出し、荒野で天幕に住んだことを記念した祭りです。祭りの期間中、毎日、シロアムの池(ギホンの泉)から神殿に黄金の器で水が運ばれ、朝と晩にいけにえが捧げられる時、供え物と一緒に祭壇の西に注がれました。これは、モーセが岩から水を出して人々の渇きを満たしたことを記念する儀式でした。その岩はキリストのことを、水は聖霊のことを表すものでした(Ⅰコリ10:4)。
その真理を示すために、祭りの最終日に、イエスは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(37-38) 「心の奥底」とは、ギリシャ語では「腹」のことで、「生ける水」とは、「御霊のこと」(39)であるとヨハネは説明しています。また、「川」という言葉は、原語のギリシャ語では複数形となっています。つまり、「生ける水」である聖霊が、信じる者たちの「腹」から、「川々」となってあふれ流れて来るということで、「聖霊の満たし」を意味しています。
イエスは、「聖書が言っているとおりに」と言われましたが、それはエゼキエル47:1-12で、預言者エゼキエルが見た新しいエルサレムの神殿の幻です。ユダヤ人は、この命の水が湧き出すところは、世界の中心(腹、へそ)であるエルサレムの神殿であると考えていました。しかしイエスは、エゼキエルの幻は、イエスを信じる者に成就すると約束されたのです。
イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と言われました。これはイザヤ55:1の「渇いている者はみな、水を求めて出て来い」の引用です。イエスは、聖霊の満たしを求めるようにと呼びかけておられるのです。「生ける水」である聖霊の満たしは、飢え渇き、求める者に与えられます。私たちは、聖霊によって、霊的な命と力が与えられます(Ⅱコリ3:6)。主の前に飢え渇きをもって出て行き、聖霊の満たしを求めましょう。