詩篇123:1-4

2024.07.28

1. 山に向かって目を上げる

昨年私は脳梗塞で倒れ、自分の無力さに悩みました。また、宣教においてもヨーロッパでは教会が衰退し、日本でも教会数が8000から6000に減ったと聞きました。このような状況で主に目を注ぎ主の御手が動かされることに期待したいのです。

2. 安逸をむさぼったり誇ったりしないで、主に目を注ごう

ウクライナとロシアの戦争では人々は人間的な思いで考察し、主の御言葉よりも、自分たちが勝てるようにという願いが優先されて主の御言葉を聞かない人もいる。また、神がいつも助けてくださるからと、何もせずに生きていけると安心しきって、主が日々与えてくださる挑戦には目を閉ざしていることがある。このような自分中心の考えは安逸をむさぼっていることになりはしないだろうか。私たちは主に目を注ぎ、御言葉に耳を傾け、主の哀れみを求めていくことが大切だと思う。

3. 私たちに不可能でも主が御手が動かされることに期待したい

世界でも日本でも宣教が進んでいるとは言えず大変と思う。しかし、主に目を注ごう。主が御手を動かし、門を開いてくださることを期待したい。主に憐れんでくださいと求めていきたい。イエスを信じていてもすぐに完璧にはなれない。もっとイエスを呼び求め、主に期待し、主の御業が動くのを見たいと思う。主は私たちのために十字架にかかり、私たちを贖い、ご自分のものとして買い取られたのは、私たちを通して主の御業をなしていきたいと願っておられるのではないだろうか。

Filed under: 川井勝太郎宣教師