16.5.1.

賢い選択

創世記13:1-18

人生には、小さな選択から大きな選択まで、様々な選択があります。
この一度しかない貴重な人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければなりません。
どのように人生の選択をしたら良いのか、アブラムとロトを例に学びましょう。

1.神様に信頼し、全てを委ねる

アブラムとロトは、それぞれ多くの家畜を持ち、それを羊飼いに飼育させていました。
しかし、そこはカナン人が住んでいる土地であり、その僅かな地で放牧していたため、
二つの大きな集団のためには、十分な広さはありませんでした。
また、その土地には、二つの家畜の群れを養うだけの十分な草も水もなかったのです。
そのため、アブラムの牧者たちとロトの牧者たちの間に争いが起こるようになりました。
アブラムは、親類同士の争いを避けるために、
それぞれ分かれて、別の土地で生活するということを提案しました。
ここで、アブラムは、土地の選択権をロトに譲っています。
本来、土地の選択権は、叔父であり、年長者であるアブラムにありました。
アブラムが先に良いと思う方を取り、ロトに他の方を命じても、ロトは文句を言えません。
また、その地域一帯は、神様からアブラムに与えられていた「約束の土地」でした。
なぜ、アブラムは、ロトに土地の選択権を譲ったのでしょうか。
これは、神様に対するアブラムの信仰の現われだったのです。
・どんなに劣悪な場所であっても、御心であるなら、必ず祝福される。
・どんなに良い場所であったとしても、御心でないならば、祝福はない。
・神様が共にいて、働いて下さり、祝福して下さるなら、その場所が祝福の場所になる。
この原則を、アブラムは、自分の失敗した体験から学んでいました。創世12章
カナンの地が激しい飢饉に見舞われた時、アブラムはエジプトに避難しました。
しかし、アブラムは神様を信頼して、カナンの地に留まるべきであったのです。
そのため、アブラムは自分の妻サラを妹だと偽り、妻をエジプトの王に奪われそうになり、
エジプトにも災いがもたらされるようになりました。
アブラムは、この失敗の経験から、どこに行くかその場所は問題ではなく、
どこであって神様が祝福して下さるなら、そこが祝福の場所になると学んだのです。
ですから、アブラムには「こうでなければならない」というこだわりはありませんでした。
アブラムは、ロトに先に選ばせることによって、神様に任せたのです。
私たちもこだわりを捨て、神様を信頼し、全てを神様に委ねなければなりません。箴言3:5

2.見た目だけで判断せず、神様を第一とする

ロトは迷うことなく、「どこもよく潤っていた」(10)「ヨルダンの低地全体を選び」(11)、
「ソドムの近くまで天幕を張った」(12)のです。そこは家畜を飼うには最適と思われました。
ロトは、自分の見えるものに従って判断しました。
「ソドム」の町は、非常に豊かでしたが、神様の前に非常に罪深い町であり、
神様の怒りを買い、裁かれ、滅ぼされるような町でした。
しかし、ロトはそのようなことは全く気にせず、目先の利益にしか目を留めませんでした。
やがて、ロトは「ソドム」の町の中に住むようになります。創世14:12
ついには、「ソドムの門のところ」に座る町の有力者にまでなりました。創世19:1
そして、更に、自分の二人の娘のためにソドムの男を婿に迎えました。創世19:12,14
こうしてロトは、「ソドム」の人と家族となり、「ソドム」の人間となっていったのです。
ロトは、「ソドム」の町の罪を見て心を痛めていましたから(Ⅱペテロ2:7,8)、
「ソドム」から遠ざかるべきでしたが、「ソドム」に住み続けました。
そして、「ソドム」が滅ばされた時、自分の妻も財産も全て失ってしまったのです。
聖書は、目に見えるものに頼ることの危険性を教えています。箴言14:12
どんなに魅力的に見えても、いい話のように思えても、人間的に常識と考えられても、
見た目や目先の利益に惑わされて、すぐにそれに飛びついてはいけません。
私たちは、目に「見えるもの」に従って歩むのではなく、
「見えないもの」に目を留めなくてはなりません。Ⅱコリント4:18。それは神様のことです。
それが神様の前に本当に良いものなのか、神様の御心なのか、神様に喜ばれることなのか、
クリスチャンとして相応しいことなのか、よく祈り、よく考えて選択しましょう。
神様を第一にした歩みが出来るかどうかが大切です。マタイ6:33。箴言3:6

3.祝福の源は神様ご自身である

ロトと別れた後、アブラムは「カナンの地」に住むことになりました。
そこは山地であり、荒野であり、牧畜にはあまり適さないような場所でした。
人間的には、アブラムはロトに良い方を取られ、損をしたことになります。
しかし、神様はアブラムに祝福の約束を語られました。 (14-17)
第一の約束は、「見渡しているこの地全部を、永久に」(15)与えられるという約束でした。
アブラムに与えられたのは「残り物」ではなく、「全部」でした。
第二の約束は、子孫が数えきれないほど多く増やされるというものでした。
実際にアブラムが見渡した土地は、水は乏しく、太陽の熱は厳しく、
決して肥沃な地ではなく、人や家畜を育てることも、増やすことも困難でした。
しかし、神様はアブラムの「子孫を地のちりのように」、
数えられないほど増やすと約束して下さいました。
アブラムは、ロトと比べるなら、損をしたかのように見えたかもしれません。
しかし、アブラムは損をしたのではなく、かえって祝福を得たのです。
神様は、神様を信じ信頼したアブラムに、祝福をもって応えて下さったのです。
私たちが神様を信じて従うことによって、大きな損失を被ることがあっても、
神様はそれを補い、更にそれを溢れるほど満たして下さいます。
祝福は、土地そのものにあるのではなく、神様ご自身にあるのです。詩篇16:5。哀歌3:24

人間的にはどんなに愚かに見えても、神様の前に賢い選択をする者となりましょう。
神様が最善に導いて下さることを信じて、自分のこだわりを神様に委ねましょう。
見た目ではなく、神様を第一とすることが出来るかという基準で判断しましょう。
賢い選択をする者には、神様の祝福が与えられるのです。

Filed under: 伊藤正登牧師