使徒10:1-48
260524
コルネリウスの聖霊体験を通して、どのような人に聖霊が注がれ、そして聖霊に満たされた人に与えられるしるしは何かを学びましょう。
1.イエスの十字架と復活を心から信じる者は聖霊を受ける
コルネリウスはローマ人、つまり、異邦人でしたが、聖書の神を信じ、よく祈り、人々には多くの施しをする人でした(使徒10:2)。コルネリウスはイエスの十字架と復活をよく知りませんでした。そんなコルネリウスと彼の家族は神の不思議な導きによってペテロを家に招き(使徒10:3-33)、イエスの十字架と復活による救いのメッセージを聞くことができました(使徒10:34-43)。
ペテロの説教の内容は、だいたい次のことです(使徒10:34-43)。
①イエス・キリストは神から贈られた救い主である。
②イエスはたくさんの良いわざをなし、多くの人々を解放した。
③イエスは十字架にかかり死なれたが甦られた。
④イエスを信じる者は誰でも罪の赦しを受けられる。
このメッセージは救いの条件にかかわるメッセージです(Ⅰコリント15:3-5)。
ペテロの話を聞きながら、コルネリウスたちは心からイエスを信じたようです。すると彼らに聖霊が注がれ、喜びの賛美が心から湧き出て、神をほめたたえ始めました。すると、コルネリウスたちは、賛美だけでなく、異言でも話し出しました。この光景を見たペテロは、自分たちがペンテコステの日に聖霊が与えられたのと同じように(使徒2:1-4、使徒10:47)、異邦人であるコルネリウスに聖霊が与えられたということが分かりました。
異邦人でも誰でも、十字架にかかり死んで、甦られたイエス・キリストを真に信じると、聖霊を受けます(ヨハネ7:37-39)。そのとき、神の愛に触れられ、救いの喜びに満ち溢れます(Ⅰペテロ1:8-9)。そして、新しい人に生まれ変わります(Ⅱコリント5:17)。これが聖霊を受けたときに起こることです。終わりの時代にはすべての人に聖霊が注がれます(ヨエル2:28-29)。それは、イエスを信じるすべての人々に聖霊が注がれるということです。
2.聖霊を受けた者は異言で語れる
聖霊を受けたコルネリウスたちは、神を賛美し、また、異言で祈り始めました。聖霊を受けると、異言で祈れるようになるのです。使徒の働きを読むと、聖霊を受けた人はみな、異言で語っているからです。異言は聖霊を受けたすべての者たちに与えられる聖霊のバプテスマ(満たし)の「しるし」であるとも言えます。
現代のクリスチャンたちも、イエスを心から信じているなら、聖霊がその人の内側に住んでおられます(Ⅰコリント12:3)。しかし、聖霊の内住と聖霊の満たしは異なる体験です。聖書は聖霊に満たされるようにと教えています(使徒2:4、9:17ほか)。私たちはまず聖霊の満たしを熱心に求めましょう。そして、祈りの中で、自分の舌を主に明け渡しましょう。聖霊に舌を明け渡すとき、異言で祈り始めるようになるのです。
3.異言の祈りの大切さ
異言は聖霊による祈りであり、すべてのクリスチャンが信仰の成長のためにかかせないものです。異言の祈りは私たちの信仰的・霊的な徳を高め、私たちを強めます。異言の祈りで主との親しく深い交わりができるからです。人間が人間のことばで、人間の理解の中で祈っても限界があります。どう祈ったらよいか分からないときもあります。異言で祈る時、私たちの知性を超えて祈れるのです。聖霊の満たしは私たちが主の証人となるために与えられるものです(使徒1:8)。私たちが主の御前に建て上げられていくようにと、聖霊が祈ってくださるのです(Ⅰコリント14:2-4)。
まとめ
だれでも、イエスの十字架と復活を心から信じるなら、聖霊が注がれます。そのとき、救いの喜びを体験し、心から湧き上がる喜びに満たされます。また、聖霊に満たされると主への賛美が湧き上がるだけでなく、異言で祈ることもできるようになります。聖霊に舌を明け渡すとき異言で祈れるのです。異言は聖霊が祈る祈りです。私たちが異言で祈る時、信仰的・霊的に成長し、主の証人となるのです。私たちはこれからもますます聖霊に満たされ、異言で祈り、信仰が強められ、主の証人となっていきましょう。
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