260628

私たちは時々、どうしようもない行き詰まりを経験することがあります。前進することも後退することもできないとき、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

1.黙っていなければならない

イスラエル人たちは、乳と蜜の流れる土地に入る約束を神から受けていましたが(出3:8)、眼の前には海があり、エジプト軍が後ろから迫っていて、逃げ道はありませんでした。それはイスラエル民族にとって絶望的状況でした。イスラエル人たちはモーセに不満をぶつけ、自分たちをこのような状況に追い込んだのはモーセだと批判しました。しかし、このような状況に導いたのは神であり、モーセはイスラエルを奴隷生活から救い出すために用いられただけなのです。彼らはそれを悪く理解し、荒野で死なせるために連れてきたと言いました。また、エジプトの奴隷生活の方がよかったとすら言ったのです。これはつまり、神を信じないという不信仰の発言でした。モーセに不満をぶつけても解決にはなりません。彼らは神を信頼し、救いを求めて祈るべきだったのです。

私たちの人生にも様々な問題が起こり、どうしてよいか分からないことがあります。そんなとき、私たちは神に祈り求めることができるのです。神への門はいつでも開かれています。その神に希望を置くことが唯一の救いなのです。不満をぶちまけ、不信仰なことを言わないようにしましょう。

モーセはイスラエル人たちに、「恐れてはならない。しっかり立って主の救いを見よ。エジプト軍は全滅する。主が私たちのために戦われる。黙っていなさい。」(出14:13-14)と言いました。状況を見て恐れ、不信仰なことを言ってはならないのです。目の前の状況がどうであっても、しっかりと信仰に立つことが大切です。神に期待する者は、状況がどうであっても神を信頼し、不信仰を言わず、ただ主に期待することが大切です。私たちには勝利のイエスがいます。イエスを信じる者は世に勝つのです(Ⅰヨハネ5:5)。どんな状況でも私たちは圧倒的な勝利者になるのです(ローマ8:35-38)。

2.主が道を造られる

神はモーセに「あなたの杖を上げ、手を海の上に伸ばし、海を分けよ。」と言いました(出14:16)。モーセがそうすると、海が分かれ、イスラエル人たちはその道を進むことができました。神は道のないところに道を造られる方です(イザヤ43:19)。神に不可能はありません(ルカ1:37)。

主を信頼している者たちは、閉じ込められることはありません。神が脱出の道を用意してくださるのです(Ⅰコリント10:13)。そのとき、私たちの人生に将来と希望が開かれます。私たちは神とともにあるなら、どんな状況でも前進できるのです。パウロもアジアへの道が閉ざされた時、主はヨーロッパへの道を開いてくださいました(使徒16:9-10)。

この後、エジプト軍もその道に入り込みましたが、前進することができず、全員が海に飲み込まれ、全滅してしまいました。こうしてイスラエル人たちは全員救われました。このように、主を信頼するなら、主の大いなる救いを体験し、主の栄光が現されるのです(ヨハネ11:40)。

3.水を通る道は十字架の救い

この大いなる出来事は、単にイスラエル人が神の奇跡で救われたというだけではなく、イエス・キリストの救いの型でもあります。私たち人間は神に似せて造られ、神に愛され、神とともに生きるはずでした。しかし、人間は神から離れ、自分勝手な道を歩み、神の御前に罪人となりました。神は愛なるお方であると同時に、義なるお方なのです。そのため、人間は永遠に神から切り離され、滅びなければならなくなりました。このような行き詰まりを打開するため、神はご自分の独り子であるイエスを人間の罪の身代わりとして犠牲にされました。イエスの十字架の死をもって救いの道を開いてくださいました。

イスラエル人たちは水を通って、エジプトとの関係を完全に断ち切り、奴隷の状態から解放されて、神の民として歩み始めました。同様に、イエスを信じる者も水を通って、すなわち洗礼を受けて、神の民として生きるようになるのです(ガラテヤ3:27-29、マルコ16:16)。このような救いの道を開かれた神に感謝し、ほめたたえましょう。

まとめ

私たちが行き詰まりを感じるとき、誰かを呪ったり、不平や不信仰なことを言ったりしないように気をつけましょう。そのようなことは神に対する不信仰であり、救いの道は開かれません。どんな状況でも神を信頼するなら、神は新たな道を開いてくださいます。それは私たちの人生の大きな転機となり、神と共に生きる素晴らしい世界へと前進できるのです。

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