19.4.14.

詩篇23篇の1節は、詩篇23篇の表題となっていますが、6節は結論となっています。

ここでダビデは、大きく二つのことを語っています。

(さらに…)

19.4.7.

詩篇23篇で、ダビデは、神と私たちの関係を「羊飼い」と「羊」の関係に例えて、「主は私の羊飼い」ですと告白しています。しかし、5節からは「家の主人」と「客」となった「旅人」の話に変わっています。しかし、「羊飼い」なる「主」と「羊」である私たちとの親密な関係は引き継がれています。ダビデは、「羊飼い」なる「主」が私たちのためにしてくれることを、「家の主人」が「旅人」をもてなすことに例えて表現しています。

(さらに…)

19.3.17.

ダビデは「主は私の羊飼い」であるゆえに、「私は、乏しいことがありません」と言っています。私たちが満ち足りていることが出来る第3の理由は、「死の陰の谷を歩くことがあっても」、主が「私たちとともにおられ」、「わざわいを恐れ」ることがないからです。

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19.3.10.

ダビデは「主は私の羊飼い」と告白し、「私は、乏しいことがありません」と言っています。これは詩篇23篇全体のテーマとなっていて、その理由が2節以降で説明されています。「乏しいことがありません」ということの第1の理由は、主が私たちを「緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われ」るからです。「羊飼い」が「羊」たちに必要な草を与え、水を飲ませて下さるように、主が私たちの必要を全て満たして下さるので、安心し、満ち足りることが出来るのです。3節には、私たちが満ち足りることが出来る第2の理由が書かれています。 続きを読む

19.3.3.

詩篇23篇は、多くのクリスチャン達に愛され、親しまれている美しい詩篇です。詩篇23篇から、主が私たちにとってどのようなお方なのか学びましょう。 続きを読む