18.2.11.

アドナイ・ラファ : 癒したもう主

出エジプト15:26

聖書の中で、神は「エル」(El)、「エロヒム」(Elohim)と呼ばれていますが、
他にも「アドナイ」(Adonai)と呼ばれています。これは「主」という意味です。
神の御名「ヤハウェ」(YHWH)は、「アドナイ」と置き換えて呼ばれるようになりました。
この「アドナイ」という言葉も、他の言葉と組み合わされて用いられています。
それらは、神がどのようなお方であるのか、神のご性質を示すものとなっています。

1.苦い水を甘くされた主

出エジプト記14章には、イスラエルが二つに分かれた紅海を渡る奇跡が記されています。
神は紅海を分けられ、イスラエルの人々は乾いた道を向こう側に渡ることが出来ました。
その後を追いかけて来たエジプト軍は、
再び元の状態に戻った紅海の水に覆われ、全滅してしまいました。
この神による大勝利を喜び歌ったのが、出エジプト15:1-21です。
しかし、その感動と喜びも、次にやって来た試練と共に消えてしまいました。
紅海での奇跡の後、「三日間、荒野を歩いた」のですが、「水が見つからなかった」のです(22)。
イスラエルの人々は、「マラ」という所に来て、ようやく水を見つけることが出来ましたが、
「マラの水は苦くて飲むことができなかった」(23)のです。
そこで、人々は、モーセにつぶやきました。「私たちは何を飲んだらいいのですか。」(24)
僅か3日前の大きな感動と喜びの賛美は、不平不満に変わってしまいました。
モーセがこの問題を主に叫ぶと、「主は彼に一本の木を示されたので、
モーセはそれを水に投げ入れ」ました。「すると、水は甘くなった」のです(25)。
イスラエルの人々は、その甘くなった水を飲むことが出来ました。
その際、神は、もしイスラエルの人々が「主の声に確かに聞き従い、
主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守る」なら、
「エジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない」と約束されました(26)。
そして、その中で、「わたしは主、あなたをいやす者である」と宣言されたのです。

2主は癒してくださる方

「わたしは主、あなたをいやす者である」は、ヘブル語では「アドナイ・ロフエハ」です。
その直訳は「主はあなたを癒された」です。
この言葉から、神は「アドナイ・ラファ」と呼ばれるようになりました。
すなわち、「主は癒される」、「癒したもう主」という意味です。
聖書が啓示している神は、「癒し主」なる神です。出エ23:25
旧約聖書には、神がなされた癒しの御業が数多く記されています。
Ⅱ列王5:1-14。アラムの将軍ナアマンの癒し。
ナアマンは、ツァラアトに冒されていましたが、預言者エリシャの言葉に従い、
ヨルダン川に7回身を沈めたところ、完全に癒されました。
Ⅱ列王20:1-11。ヒゼキヤ王の癒し。
ヒゼキヤは、病気で死にかかっていましたが、必死に神に癒しを祈り求めました。
神は、ヒゼキヤの願いを聞き入れ、彼を癒し、もう15年生きると告げられました。
新約聖書には、神の御子イエスによる癒しの奇跡が数多く記されています。
特に、福音書の1/4は、癒しに関するものです。
イエスが行われた癒しの奇跡は、旧約聖書のメシヤ預言(イザヤ61:1-2)の成就であり、
イエスが神の御子キリストであることのしるしでした。Cf.ルカ4:16-21
主なる神の御心は、私たちが健やかであることです。Ⅲヨハネ2
神は、私たちの「霊」や「たましい」だけではなく、私たちの「からだ」にも関心を持たれ、
「完全」であるようにと願っておられます。Ⅰテサ5:23

3.キリストの打ち傷で癒された

神がこの世界を造られた時、この世界には病はありませんでした。
神が造られた全ては「非常に良かった」(創世1:31)と言われています。
しかし、人間が神に罪を犯してしまった結果、この世界に死が入り(ローマ5:12,17-19)、
この世界は呪われ(創世3:17)、病も生ずるようになってしまったのです。
しかし、神は、私たちを罪の滅びと呪いから救うために、
御子イエス・キリストを送って下さいました。
キリストは、私たちの全ての罪と咎を負って十字架にかかり、
私たちの身代わりとなって苦しみを受け、死んで下さったのです。
キリストが受けられた「打ち傷」は、私たちの癒しのためでもありました。Ⅰペテロ2:24
イザヤ53:4-5。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
モーセが「一本の木」を苦い水に投げ入れると、水は甘くなり、飲めるようになりました。
その「一本の木」とは、キリストの十字架のひな型だと言われています。
すなわち、十字架で打たれたキリストによって救いと癒しが与えられ、
苦い人生が甘いものへと変えられることを示していたのです。

神は、私たちの罪を赦し、私たちの病を癒して下さるお方です。詩篇103:3
私たちが主に癒しを求める時、主は癒して下さいます。詩篇30:2
特別な癒しの賜物を持っている人もいます。Ⅰコリ12:9
しかし、全てのクリスチャンは、病人のために祈るようにと召され、
イエス・キリストの御名によって祈る権威も与えられています。マルコ16:16-18
癒しのために祈る際に、病気の人に手を置いたり、油を塗ることもあります(ヤコブ5:14)。
「信仰による祈りは、病む人を回復させます」(ヤコブ5:15)が、癒して下さるのは主です。
すぐに癒されなくても、諦めることなく、粘り強く、祈り続けることが大切です。
神の癒しは、医者による治療や薬などの医療を通して現わされることもあります。
また、神は、心の傷を癒し、夫婦の関係を癒し、家庭を癒し、世界を癒して下さいます。
「アドナイ・ラファ」なる神に癒しを祈り求めましょう。

Filed under: 主の御名伊藤正登牧師