18.7.15.
ヨハネの福音書におけるイエスの7番目の奇跡は、「ラザロのよみがえり」です。この奇跡から、私たちはどのようなことを教えられるのでしょうか。
1.試練の中でも私たちに対する主の愛は変わらない
「ベタニヤ」に、ラザロ、マリヤ、マルタの三人兄弟が住んでいました。「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられ」(5)ました。しかし、イエスが「愛しておられる」(3)ラザロは「病気にかかって」(1)しまいました。そこで、マルタとマリヤは、イエスのもとに「使いを送って」(3)、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です」(3)と伝えました。彼女たちは、イエスにすぐにでも来ていただき、ラザロを癒していただきたいと願っていたに違いありません。 彼女たちの訴えに対して、イエスは次のように言って答えられました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4) イエスは、ラザロの病気が非常に重いものであり、彼が死にかかっているということ、そして死ぬということを知っておられました。しかし、イエスは、すぐにはラザロのもとに行かず、「なお二日とどまられた」(6)のです。結果的に、ラザロは死んでしまいました。マルタとマリヤは、どんなにかラザロの死を悲しみ、イエスにも失望したことでしょう。彼女たちは、「なぜ、イエスは早く来て下さらなかったのだろうか」、「イエスはもう私たちのことを愛しておられないのだろうか」と思ったことでしょう。しかし、イエスの彼らに対する愛が変わったわけではありません。
人生の試練にある時、私たちも同じような思いになることがあるのではないでしょうか。しかし、私たちに対する神の愛は決して変わりません。イザヤ54:10。
2.主は人の思いを越えた計画を持っておられる
イエスがラザロのもとに到着した時には、彼が死んで「四日もたって」(17)いました。イエスがすぐにラザロのもとに行かなかったのは、イエスに計画があったからなのです。イエスは、ラザロのもとに行く際に、弟子たちに「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです」(11)と言われました。これを聞いた弟子たちは、ラザロがただ「眠っている」(12)だけだと思いましたが、イエスは、はっきりと「ラザロは死んだのです」(14)と言っています。イエスは、死んだラザロをよみがえらせに行くと言われたのです。
イエスがラザロの病気の知らせを受けながら、「なお二日とどまられた」のは、単にラザロを病気から癒すためではなく、死からよみがえらせるためでした。それによって、「神の栄光」(4)を現わすためだったのです。イエスは、何が最善であるか知っておられました。イエスは、人の思いをはるかに越えた計画を持っておられるのです。
私たちの人生においても、理解出来ない苦しみや悲しみが起こることがあります。しかし、神は、私たちの考えを越えた大きな計画を持っておられます。イザヤ55:8-9。しばしば、私たちは自分の願っている方法や時で神に働くように求めてしまいます。しかし、神は、最善な時に、最善な方法で、神の栄光を現して下さるのです。伝道3:11。どのような状況でも、神にはご計画があることを覚え、神を信頼し、全てを委ねましょう。
3.単なる知識から生きた信仰へ
マルタは、イエスに残念な気持ちを素直に告白しました。(21) イエスは「あなたの兄弟はよみがえります」(23)とはっきりと宣言しました。しかしマルタは、「終わりの日のよみがえり」(24)のことを言っていると思いました。マルタは、聖書の正しい教理についての知識は十分持っていましたが、イエスが「今」、「現実に」、御業をなされるとは信じていませんでした。
そこで、イエスは、マルタにはっきりと言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(25-26) これに対して、マルタは「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております」(27)と答えましたが、彼女の信仰はまだ知識の領域を出てはいませんでした。イエスは、「墓」の入口の「石を取りのけなさい」(39)と言われました。それを聞いたマルタは、現実の世界に引き戻され、言いました。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」(39) そこで、再びイエスは、マルタに語られました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40) マルタが取り除けなければならなかった「石」は、単に「墓」の入口の「石」ではなく、彼女の信仰を押さえつけていた「常識」、「不可能」、「不信仰」という「石」でした。
私たちも、神を信じていると言っても、単なる知識だけにとどまってはいないでしょうか。今も、現実に、自分の生活の中に、神が働いて下さると信じているでしょうか。主は、私たちにも「あなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」と語っておられます。私たちも、知識や常識を越えた信仰を持つ者とさせていただきましょう。エペソ1:19。
イエスは、墓の「石」を取り除けさせると、父なる神に感謝の祈りをささげ、墓に向かって、大声で叫ばれました。「ラザロよ。出て来なさい。」すると、「死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た」のです。ラザロは、巻かれていた布を解いてもらい、自由な体となって家に帰って行きました。こうして、イエスは栄光を現されました。「よみがえり」、「いのち」であるイエスは、今も生きて働いておられます。主が私たちの人生にも栄光を現わして下さることを信じ期待しましょう。
Filed under: イエスの奇跡(ヨハネの福音書) • 伊藤正登牧師