16.12.11.

主の導きに従ったヨセフ

マタイ1:18-25

マリヤは、御使いを通して語られた神様からのメッセージを信じ、受け止め、
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と信仰告白をしました。
それでは、ヨセフは、婚約者マリヤの突然の妊娠をどのように受け止めたのでしょうか。

1.常識を超えた主の導き

マリヤが結婚前に妊娠したということは、
犯罪者として取り扱われるような重大な問題でした。
そこで、ヨセフは、マリヤを「内密に去らせようと決め」(19)ました。
それは、マリヤが裁かれ、死刑になることを防ぐためでした。
婚約関係がなければ、姦淫の罪に問われることはなく、マリヤの命は助けられました。
「ヨセフは正しい人」(19)でしたから、正しいことをしようとしたのです。
「正しい人」とは「罪のない完璧な人」という意味ではなく、
「忠実に律法に従っている人」、「常識的な人」、「ルールを守る人」という意味です。
マリヤを去らせることは、常識的には最善の方法と考えられました。
しかし、そうすることは、神様の救いの計画を妨げ、破壊してしまうことになりました。
なぜなら、もし、ヨセフがマリヤを妻として迎え入れていなかったなら、
マリヤから生まれて来るイエス様は「ダビデの子孫」とはなり得なかったからです。
マタイ1:1-17の「イエス・キリストの系図」にある通り、
「ダビデの子孫」であるヨセフがマリヤを妻として受け入れたゆえに、
マリヤから生まれたイエス様も「ダビデの子孫」となり得たのです。
しかし、ヨセフは、自分が最善であると考えられる方法をとることで、
神様の救いの計画を破壊し、人類の救いを妨げようとしてしまっていたのです。
神様が成そうとしておられることは、私たちの考えをはるかに超えたことであり、
私たちが成そうとしている方法とは、全く違った、優れた方法です。イザヤ55:8,9
しかし、神様のなそうとしておられることを理解したり、受け入れたりすることが出来ず、
このヨセフのように、常識的に考えて、自分が正しいと思える方法を取ろうとして、
かえって神様の御業を妨げ、破壊してしまうようなことはないでしょうか。伝道7:16

2.主の語り掛けを聞く

ヨセフは、マリヤのことで「思い巡らしていた」(20)と書いてあります。
ヨセフは、一旦はマリヤを「内密に去らせようと決め」ましたが、
それでもヨセフは、マリヤに起こったことで一人で悩み、心を痛め、
これからどうしたら良いかと色々と考えていたのです。
ヨセフは、自分の正しさ、人間的常識、ルールにとらわれ、
全く融通の利かない人間ではありませんでした。
ヨセフは、柔らかい頭を持っていて、物事を決して決めつけることなく、
神様からの語り掛けを聞くことの出来る心を持っていたと言えます。
このように、ヨセフが「思い巡らしていた」時に、
「主の使いが夢に現れて」、ヨセフに語りかけました。(20,21)
ヨセフは、神様からの語り掛けを聞く耳を持っていたので、
御使いを通して語られた神様から語り掛けを聞くことが出来たのです。
頑なな心のまま、神様の語りかけを聞こうとしても、聞くことはできません。
サムエルのように、「主よ。お話ください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:10)と、
「どのようなことであっても、主が語られることを受け入れます」という心の姿勢で、
神様の語り掛けを待ち望むことが大切です。
イエス様は「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:9,23)と言われましたが、
「聞く耳のある者」だけが神様の語り掛けを聞くことが出来るのです。
そして、神様の語り掛けを聞くためには、神様の御前に出て、
神様と共に過ごし、神様と語り合う時間を持たなくてはなりません。
少年サムエルが主の語り掛けを聞くことが出来たのは、
彼が「主の宮」すなわち主の臨在の場所にいたからです。Ⅰサムエル3:3

3.主の導きに従う

ヨセフは、神様の導きに従って、マリヤを妻として受け入れる決断をしました。
その決断は、初めの決断とは全く正反対な決断でした。
そして、それは簡単に実行出来ることではありませんでした。
なぜなら、婚約中に妊娠してしまったマリヤと結婚するということは、
人々から疑いの目で見られたり、陰口を言われたり、いじめられたり、
仲間外れにされたりするかもしれないからです。
ヨセフとマリヤの結婚生活には、初めから困難が予想されていたのです。
それでも、ヨセフは、主の語り掛けに、文句も言わずに従いました。
神様の導きが、私たちの理解を超えたものであることがあります。
しかし、従うことによって、理解することが出来るようになることもあるのです。
ある導きに関しては、まず従ってみるまではその意味が分らないことがあります。
神様は、私たちの思いや願いと異なることを言われることがありますが、
そのような時、素直に「はい、主よ」と言って従うことが出来るでしょうか。
神様が語りかけておられるのに、それを受け入れることが出来なかったり、
従うことが出来なかったりすることはないでしょうか。
結局、神様の御声に反して、自分の考えの方向に行ってしまうことはないでしょうか。
イエス様は自分の思いではなく、父なる神様の導きに従う祈りをしました。マルコ14:36
たとえ自分の思いと違っていても、「はい、主よ」と応答して従うことが大切です。

聖書には、マリヤについての記述は多くありますが、ヨセフについては僅かです。
ヨセフは、ごく普通の無名の大工でしたが、主の導きに従う信仰の人でした。
そして、ヨセフは、人類の救いの御業のために重要な役割を果たしました。
私たちも、たとえ人間の常識を超えた理解出来ないことであっても、
自分の正しさにとらわれず、主の御声を聞き、主の御心に従いましょう。
主の導きに従って、主の御業に用いられる者となりましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師