19.2.17.

聖書は「すべての事について、感謝しなさい」と言っています。この御言葉の英語訳は、ギリシヤ語に近い訳をしています。“in everything give thanks”(NKJ)、”be thankful in all circumstances”(TEV) つまり「全ての事において感謝しなさい」、「あらゆる状況の中で感謝しなさい」です。人生に起こる全ての事において、どんな状況の中でも感謝するようにと言っているのです。では、どのようにしたら感謝出来るようになるのでしょうか。

1.既に与えられている恵みを感謝する

パウロには、「とげ」となるものがありました。それは、具体的に何であったかは分かりませんが、パウロにとって、痛みとなるもの、妨げになるものだったのでしょう。パウロは、神にその「とげ」を取り除いて下さるようにと3度も願いました。しかし、「とげ」は取り去られず、状況は何も変わりませんでした。しかし、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である」(Ⅱコリント12:9)と言われました。どんなに取り除いて欲しいものがあったとしても、どんなに変えて欲しい現実があったとしても、今置かれている状況の中に、主の恵みは十分注がれていると言うのです。

もう一度、自分に今どのような恵みが与えられているか考えてみましょう。今、自分に与えられている恵みを一つ一つあげてみるなら、不平不満を言うことよりも、感謝すべきことの方が沢山あるはずです。持っていないもの、失ったものを見るのではなく、今与えられているものを見ましょう。「主の良くしてくださったこと」に目を向け、その一つ一つを感謝するのです(詩篇103:3-5)。

そして、忘れてはならない最大の恵み、感謝すべきことは、神が私たちに与えて下さったイエス・キリストご自身です。ギリシヤ語で「感謝する」は「ユーカリステオー」といい、名詞形は「ユーカリスティア」で「ユーカリスト」とも呼ばれ、「聖餐」を指す言葉です。ですから、「聖餐式」とは、キリストの死を覚え感謝する式なのです。私たちは、イエスが私たちのために与えられたことを感謝しなければなりません。

2.物事の良い点を感謝する

同じ事でも、見方によっては、不満に感じたり、逆に感謝出来たりするものです。悪い事ばかりに目を向けるなら、不平や不満しか出てきません。しかし、どのような物事の中にも、必ず良い点が見つかるはずです。感謝できない事の中にも、感謝できる点が必ずあるはずです。

パウロも、主から「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」と言われた結果、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」と告白するようになりました(Ⅱコリント12:9)。さらに、パウロは「私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(Ⅱコリント12:9)とも告白しています。

私たちがどのような物事の中にも、良い事を見出すことが出来るのは、主がどのようなお方か知っているからです。主は、私たちの人生にご計画を持っており、その計画は「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、…将来と希望を与えるためのもの」(エレミヤ29:11)です。また、主は、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)のです。「すべて」ということの中には、良い事ばかりではなく悪い事も含まれます。私たちの目には最悪と見えることであったとしても、主は、それを最善に造り変えることがお出来になるのです。良い計画を持ち、全てを益にして下さる主を見上げるなら、感謝が出てくるのです。

3.満ち足りる心を持つ

ピリピ4:11-12で、パウロは「私は、どんな境遇にあっても、満ち足りることを学びました」、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と告白しています。「学びました」と「心得ています」という言葉は、英語訳では”learn”となっています。”learn”は、ある知識や技術を習得すること、身に着けることを意味します。つまり、パウロは、「どんな境遇にあっても、満ち足りる」技術を習得したのです。

「満ち足りる」ことは、訓練によって習得するものなのです。すなわち、日々の生活の中で、何度も何度も「満ち足りる」訓練を繰り返していくのです。「あれも欲しい、これも欲しい」と、欲望のままに生きるのではなく、今与えられているもので満足する訓練が必要です(Ⅰテモテ6:6-10)。心が欲望に満たされている限り、「満ち足りる」ことは出来ません。

私たちのが「満ち足りる」ためには、主との親しい関係、信頼関係が大切です。ダビデは、詩篇23:1で、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」と言っています。また、「乏しいことがありません」というのは、「全く満足していてそれ以上何も願う必要がない」という満ち足りた状態のことです。これは、「羊飼い」のもとにいる「羊」が安心し切って、満ち足りている状態です。「羊飼い」は、「羊」たちを「緑の牧場」、「いこいの水のほとり」に連れて行き、猛獣に襲われないように、迷子になったりしないように見守っています。ですから、「羊」たちは、安心して草を食べ、喉を潤すことが出来るのです。私たちが「羊飼い」である主と共にある時、主との親しい関係、信頼関係にある時、どのような状況の中でも、「満ち足りる」ことが出来るのです。

詩篇92:1で、ダビデは、「主に感謝するのは、良いことです」と告白しています。感謝によって「神の平安」が与えられ、心は完全に守られます(ピリピ4:6-7)。たとえ状況は何も変わっていなくても、既に与えられている恵みを感謝しましょう。物事の良い点を見つけ出し感謝しましょう。主との親しい関係を築き、満ち足りる心を持ちましょう。コロサイ3:15-17。