20.6.21.

聖書は「すべての事について、感謝しなさい」と命じています。人生に起こる全ての事において、どんな状況の中でも感謝しなさいということです。どのようにしたら、どんな状況の中でも感謝出来るようになるのでしょうか。

1.与えられている恵みに目を向ける

多くの場合、私たちは、悪い事ばかりに気が取られてしまい、神から与えられている恵みを見落としてしまいがちです。しかし、どのような中にも、主の恵みがあるのです(Ⅱコリ12:7-9)。パウロには「とげ」となるものがありました。パウロは、神にその「とげ」を取り除いて下さるようにと3度も願いました。しかし、その「とげ」は取り去られず、状況は何も変わりませんでした。その代わりに、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である」と言われたのです。

どんなに取り除いて欲しいものがあったとしても、与えて欲しいものがあったとしても、変えて欲しい現実があったとしても、今自分が置かれている状況の中に、主の「恵み」は「十分」に注がれているのです。もう一度、自分に今どのような恵みが与えられているか考えてみましょう。衣食住、健康、家族、友人、仕事、学校等が与えられていることを感謝しましょう。今、自分に与えられている恵みを一つ一つあげてみるなら、不平不満を言うことよりも、感謝すべきことの方が沢山あるはずです。

持っていないもの、失ったものに目を向けるのではなく、今与えられている恵みに目を向けましょう。主は、良いお方です。私たちのために良い計画を持っており、良い事をして下さり、良い物を与えて下さいます。「主の良くしてくださったこと」に目を向け、その一つ一つを感謝するのです(詩103:3-5)。

2.物事の良い面に目を向ける

マイナス面ばかりに目を向けるなら、不平や不満しか出てきません。悪魔は、失ったもの、足りないもの、思い通りにいかないこと、また人の欠点や失敗や弱さに私たちの目を向けさせます。神はエデンの園で、アダムに「園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない」(創2:16-17)と言われました。アダムには、一本の「善悪の知識の木」以外の全ての木が与えられていました。しかし、悪魔は、アダムに与えられている数多くの木ではなく、一本の禁止されている木だけを注目させたのです。神が意地悪をしてアダムに食べさせないようにしているように思わせました(創3:5)。悪魔に騙されたアダムは、その木の実を取って食べてしまいました。その結果、アダムは、罪を犯し、呪われ、死ぬものとなってしまいました。

悪魔は、嘘つきであり、人殺しです。悪魔の言葉に騙されてはなりません。悪魔は、神が与えて下さっている多くの良い事から私たちの目を逸らさせ、ほんの僅かな、小さなマイナス面に目を向けさせようとするのです。同じ事でも、見方によっては、不満に感じたり、逆に感謝出来たりするものです。

悪い事だけに目を向けるなら、口から不平不満や文句しか出て来ません。しかし、良い事に目を向けていくなら、口から感謝の言葉が出て来るのです。どんなに悪い事の中にも、必ず良い点が見つかるはずです。物事の良い面に目を向けて、感謝しましょう。

3.全てを与える主に目を向ける : 満ち足りる心を持つ

どのような状況でも、感謝出来るためには、「満ち足りる心」が必要です(Ⅰテモ6:6-10)。すなわち、欲望や理想を追い求めるのではなく、今与えられていることで満足し、今の状況をそのまま受け入れるということです。人間の欲望は、どこまでも尽きることがなく、満足することはありません。また、高い理想を持つことは大切ですが、それにこだわり過ぎることも良くありません。しかし、与えられたものに満足する時、感謝が生まれるのです。

私たちが「満ち足りる」ためには、主との信頼関係が必要です。ダビデは、詩23:1で、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」と言っています。「乏しいことがありません」というのは、単に経済的、物質的に満たされていて「欠乏がない」ということではありません。「満足していてそれ以上何も願う必要がない」という満ち足りた状態のことです。それは、「羊飼い」のもとにいる「羊」が安心し切って、満ち足りている状態なのです。「羊飼い」は、「羊」たちを「緑の牧場」、「いこいの水のほとり」に連れて行き、猛獣に襲われないように、迷子にならないように見守っています。ですから、「羊」たちは、安心して草を食べ、喉を潤し、横たわることが出来るのです。私たちが「羊飼い」である主と共にある時、主との信頼関係にある時、どのような状況の中でも、「満ち足りる」ことが出来るのです。

パウロは、ピリ4:11-12で、「私は、どんな境遇にあっても、満ち足りることを学びました」、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と告白しています。つまり、「満ち足りる」ことは、訓練によって習得するものなのです。すなわち、日々の生活の中で、何度も何度も「満ち足りる」訓練を繰り返していくのです。全てを備え、与えて下さる羊飼いなる主に目を向けることが大切です(Ⅰテモ6:17)。

 

パウロは、「すべての事について、感謝」することは、「神があなたがたに望んでおられることです」と言っています。神が私たちから感謝されたいと願っておられるということではありません。「感謝」することは、私たち自身にとっても益となることなのです。       感謝することによって、「人のすべての考えにまさる神の平安」が与えられ、私たちの心は完全に守られるのです(ピリ4:6-7)。既に与えられている恵みを感謝しましょう。物事の良い点を見つけ出し感謝しましょう。全てを与えて下さる神に目を向け、満ち足りる心を持ちましょう(コロ3:15-17)。

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