詩篇100:1-5
25.6.1.
賛美とは何か、どのように賛美したらよいのか、聖書から学ぶ。それによって、さらによりよく賛美をささげ、賛美の恵みに与る者となりたい。
1.主に向かって歌え
① 賛美は神をたたえること。
これは、この世の音楽と決定的に異なる点。この世の音楽は、人間が中心だが、賛美は神が中心。賛美をもって、神の偉大さ、素晴らしさをたたえ、神に栄光を帰する(詩150:2、63:3)。元々、音楽は神を賛美するためのものであった。天地創造の時にも、天使たちが喜び歌っていた(ヨブ38:4-7)。しかし、この世界に罪が入り、音楽はサタンに奪われてしまい、神を賛美すること以外に用いられるようになってしまった。音楽を神を賛美し、たたえるためのものとして取り戻さなければならない。
② 賛美は神へのささけもの
旧約聖書の時代、罪ある人間が神に近づき、礼拝をささげるためには、罪のためのいけにえとして、動物がささげなければならなかった。しかし、イエス・キリストが私たちの罪のためのいけにえとなって、十字架にかかって、ご自身をささげて下さったので、動物のいけにえは必要なくなった。今は、キリストを通して大胆に神に近づき、礼拝をささげられる。Cf.ヘブ4:16、10:19。しかし、今日は、賛美を神へのいけにえとしてささげるのである(ヘブ13:15)。賛美をささげる中で、私たち自身をいけにえとしてささげることが大切(ロマ12:1-2)。賛美は、私たちの献身の現われと言うこともできる。賛美は神へのささげものだから、礼拝の大切な部分であり、礼拝行為そのものである。賛美は、私たちのためにあるのではなく、神をたたえ、神にささげるためのもの。
2.喜びの声をあげよ
1節と2節には、「喜び」という言葉が何度も出て来て、強調されている。詩篇に記されている賛美の中で、最も多い言葉は、「喜び」と「感謝」。喜びと感謝をもって神を賛美したたえる。喜びと感謝の賛美を神にささげる(詩95:1-2)。「喜びの声を上げる」とは、「「大歓声を上げる」、「歓喜の声を上げる」こと。英語訳(NIV)では、「Shout for joy」(喜び叫べ)ということ。Cf.詩95:1-2、聖書は、喜びをもって、大声で叫んで歌うようにと教えている(詩98:4)。
また、聖書には、様々な賛美の方法が記されている。
① 手をたたいて賛美する 詩47:1。
② 手を上げて賛美する 詩134:2。
③ 踊りをもって賛美する 詩149:3。
④ 様々な楽器をもって賛美する 詩150:3-5。
ダビデもレビ人によるワーシップチームを編成し、
様々な楽器を用いて賛美するように指導した(Ⅰ歴15:16、16:4-7)。
聖書が示す賛美の方法は、とても多様性に満ちたもので、躍動感あふれるものだった。だから、今日、私たちも様々な楽器を用い、声高らかに、大きな叫び声をもって、手を叩いたり、手を上げたり、踊ったりしながら賛美する。
3.主の御前に進み行く
詩篇100篇は、礼拝への招きの詩篇。礼拝者たちが、神殿の門をくぐる時には、4節にあるように、「感謝しつつ」、「賛美しつつ」、神殿の庭へと入っていった。しかし、礼拝者たちは、単に目に見える神殿に招かれていたのではなく、神殿に臨在される神の元に来るように招かれていたのである。2節の「御前に来たれ」は、英語訳(KJV)では「come before his presence」。「御前」とは、「presence」すなわち「主の臨在」のこと。礼拝において、単に賛美を歌うことが私たちの目的なのではない。聖書は、賛美しながら神に近付くようにと教えている(詩95:2)。
自分自身、自分の置かれた状況、自分の問題などに目を向けたら、喜べない。神がどのようなお方かということに信仰の目を向けなければならない。だから、3節で、「知れ、主こそ神」と言われている。
① 主は私たちの造り主(3)
私たちが神によって造られたということは、神が私たちの人生に目的と計画を持っており、
私たちの人生には意味があるということ。クリスチャンは「新しく造られた者」(Ⅱコリ5:17)。Cf.エペ2:10。神は、私たちを救い、新しく生まれ変わらせて下さった。
② 私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊(3)
私たちは、イエスの血によって贖われて、「主のもの」となった(Ⅰコリ6:19-20)。そして、「主の民」とされた(Ⅰペテ2:9)。また、羊飼いが羊を養い、守り、導くように、神も私たちを養い、守り、導いて下さる。
③ 主はいつくしみ深く、恵み深く、真実な方(5)
神は、常に私たちを愛し、私たちに良いことをして下さる。神は、どのような時にも、私たちに恵みを与えて下さる。神は、偽ったり、裏切ったりすることなく、常に誠実である。
私たちは、礼拝へと招かれている。すなわち、神の「御前」に出ること、主の臨在へと招かれている。聖書的な様々な方法で、感謝と喜びをもって賛美しながら、神に近づき、主の臨在へと入って行こう。私たちが神に近付いて行く時、神も私たちに近付いて下さる(ヤコ4:8。ホセ6:3)。
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