
19.11.24
人間の力には限界があり、どんなに頑張ってもできないことがあります。しかし、主の導きに従って取り組むと、不可能が可能となります。さらに素晴らしいことが起こるのです。しかし、それは何のためなのでしょうか。ペテロが体験した大漁の奇跡の話から学びましょう。
1.福音のために主にささげよう
ペテロは一晩中漁をしたのに、一匹の魚も捕れませんでした。ところがイエス様の素晴らしい奇跡により、ペテロは大漁の奇跡を体験しました。イエス様のこの大漁の奇跡は、ペテロが自分の舟をイエス様のために、また福音のために用いていただいたところから始まったのです。
このとき、イエス様は群衆に御言葉を語ろうとされました。そのとき、大勢の群衆が押し迫らないように、ペテロの舟に乗って説教をしようとされました。ペテロは喜んで自分の舟をイエス様にささげ、用いていただきました。こうしてイエス様は群衆に神の国を宣べ伝えることができました。その舟の上で、主の素晴らしい奇跡が起こったのです。
五千人給食のときも、少年が自分のお弁当を主にささげたとき、主はそれを祝福して何千倍にもする素晴らしい奇跡を現わしてくださいました(ヨハネ6章)。私たちも主のため、また、福音のために、自分の持てるものを主にささげ、主に用いていただきましょう。主は私たちの捧げものを祝福し、用いてくださり、またささげた私たちをも祝福してくださいます(マルコ10:29-30)。
2.信仰をもって御言葉に従おう
説教が終わると、イエス様はペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(ルカ5:4)と言われました。このガリラヤ湖では、漁は夜行われるもので、夜、漁火を使って行わなければ魚は取れませんでした。しかも、ペテロたちは一晩中漁をして、一匹の魚もとれなかったのです。しかし、ペテロは漁師でもないイエス様の御言葉に従いました。そのとき、大きな奇跡が起こり、大漁となったのです。
私たちも、主の御言葉に従いましょう。たとえ自分で納得できなくても、御言葉を信じ従いましょう。主は信仰に応えて素晴らしい奇跡を現わしてくださいます。主の御言葉を信じ切った人は幸いなのです(ルカ1:45)。
主からの御言葉は、礼拝で語られます。日々のデボーションのときに、聖書を読むことによっても与えられます。その御言葉に従うことが大切です。従っても何も特別なことが起こらないと思ってはいけません。御言葉に従い続けていくなら、時が来ると大きな奇跡を体験するのです。
3.主の栄光を第一に求めよう
この大漁は、2そうの舟が沈みそうになるほどの大漁でした。イエス様はご自分が神の子であることを現すため、神の子としての栄光を現わされたのです。つまり、この奇跡は主の栄光を現すためのものだったのです。
預言者エリヤが450人のバアルの預言者と対決するとき、いけにえの牛に火をもって応える方が真の神であるということになりました。このときエリヤは、いけにえの牛に水を何度も注いでから主に祈りました。すると主は火をもって応えて下さいました。エリヤがいけにえの牛に水を注いだのは、人間の力では火をつけることが不可能であり、神様にしかできないことを明らかにするためであり、圧倒的な神様の力が現わされるためでした。これは神様の栄光のためでした(Ⅰ列王18章)。
私たちが奇跡を求めるときは、実は自分たちの祝福を求めていることが多いのです。しかし、主は、私たちが豊かになること以上に主の栄光となることを求めています。私たちも主の栄光を第一に求めようではありませんか(Ⅰコリント10:31)。
この大漁の恵みを見たペテロは、神の御子としてのイエス様の力を見て恐れました。そして御前にひれ伏しました。するとイエス様は「怖がらなくてもよい。あなたは人間をとる漁師になるのです」(ルカ5:10)と言われました。そのときペテロは何もかも捨ててイエス様に従いました。
実はイエス様はこの奇跡を通してペテロが献身することを願っておられたのです。私たちも自分のすべてをささげ、生涯をイエス様にささげ、福音のために生きる決断をしましょう。牧師や伝道師になるという意味だけではなく、人生を主にささげ、主の栄光のために生きる者となりましょう。
私たちは福音のため、主に自分のもっているものをささげましょう。さらに信仰をもって主の御言葉に従いましょう。そのとき主は祝福し、大きな御業を現してくださいます。この素晴らしいイエス様に、私たちの人生をささげましょう。
Filed under: 柴田晃伝道師