2026.7.19

イザヤ書は、大きく前半の1~39章と、後半の40~66章に分けることができます。
前半では、イスラエルの罪と裁き、不信仰と人間の弱さが語られます。
しかし後半では、神の慰め、回復、救いの希望が語られます。
39章では、将来のバビロン捕囚が予告されます。国、エルサレム、神殿、故郷を失う時代が来ることが告げられました(39:6,7)。
しかし、イザヤ書は39章で終わりません。40章から、裁きの後の慰め、絶望の後の希望、捕囚の後の帰還が語られます(40:1~5)。

1.主は慰めてくださる イザヤ40:1

捕囚の民は、自分たちは神に見捨てられたのではないかと嘆きました(40:27)。
しかし神は、失敗した彼らをなお「わたしの民」として覚えておられました。
私たちも疲れ、弱り、祈りが届いていないように感じることがあります。
しかし、永遠の神は疲れることも、弱ることもありません(40:28)。
主を待ち望む者には、主からの新しい力が与えられます(40:31)。 

2.主は先立って備えられる イザヤ45:2

イザヤが預言した時、バビロン捕囚はまだ起こっていませんでした。
しかし神は、捕囚だけでなく、その先にある解放までも見ておられました。
バビロンが歴史の主なのではありません。歴史を治めておられるのは主なる神です。
その神は、遠くから世界を動かすだけの方ではなく、一人ひとりを覚え、ご自分のものとして愛してくださる方です(43:1,4)。
神は、民が捕囚になる前から、解放のためにペルシア王キュロスを備えておられました(44:28、45:1,2)。
民には出口が見えなくても、神にはすでに出口が見えていました。 私たちに答えが見えない時にも、主は先立って救いを備えておられます。

3.主は荒野に道を造られる イザヤ40:3、43:19

神は、将来捕囚となる民に、バビロンからエルサレムへ帰る道を備えると約束されました(40:3)。
これは、神が再びご自分の民を導き出される、新しい出エジプトの希望です。
かつて神は、海の中に道を造り、イスラエルを導かれました(43:16,17)。
しかし神の働きは、過去だけにとどまりません。
神は新しいことを行い、荒野に道を、荒れ地に川を備えると語られます(43:18,19)。                                   この希望は、やがてバプテスマのヨハネの働きを通して、イエス・キリストへとつながります。
主イエスは、罪、恐れ、偶像、死に捕らわれた私たちを解放する救い主です。
主は、道のないところにも新しい道を造られます。
見えないところでも、神の働きはすでに始まっています。
私たちが終わりだと思うその場所が、主にあって新しい希望の始まりとなるのです。
ですから、あきらめずに主を待ち望みましょう。主は新しいことをしてくださいます。

Filed under: 和田一喜牧師