15.1.4.
目を覚ましていなさい
マタイ25:1-13
約2千年前、イエス様は聖書の預言に従って、この世界に来て下さいました。
同じように、天の父なる神様の元に帰られたイエス様は、
聖書の預言に従って、再びこの世界に帰って来られるのです。これを「再臨」と言います。
1.イエス様の再臨について
① 再臨の約束
復活されたイエス様は、弟子たちの見ている目の前で、
「雲に包まれて」天に昇って行かれました。使徒1:9。
弟子たちがその様子を驚きをもって見てると、「白い衣を着た人」すなわち天使が現れ、
イエス様が「見たときと同じ有様で」この地上に帰って来られると予告したのです。使徒1:11。
すなわち、イエス様は私たちの目に見える姿で、「雲に包まれて」帰って来られるのです。
イエス様ご自身もご自分の再臨について多く予告しておられました。マタイ16:27、24:30。
② 再臨の様子
聖書は再臨がどのようにおとずれるのかということも教えています。Ⅰテサロニケ4:16,17。
・イエス様は御使いたちの大音響の中、雲に乗って天から下って来られます。
・初めに、死んでいたクリスチャンたちがよみがえらされます。
・生きているクリスチャンが復活したクリスチャンと共に一挙に天に引き上げられます。
私たちはイエス様の元に引き上げられる時、
イエス様と同じような栄光の姿に帰られるのです。ピリピ3:20,21。
この再臨は、イエス様が空中に再臨されることから「空中再臨」と呼ばれたり、
クリスチャンたちが天に引き上げられることから「携挙」とも呼ばれています。
この「空中再臨」・「携挙」の後、イエス様はご自分の民と共にこの地上に降り立つのです。
この再臨は「地上再臨」や「顕現」と呼ばれています。
③ 再臨の目的
・イエス様はご自分の民をご自分の元に迎えるために来られます。ヨハネ14:2,3。
今、イエス様は私たちのために場所を用意しておられ、それが整い次第来られます。
・イエス様は、ご自分の民が行った業に報いるために来られます。黙示22:12。マタイ16:27。
私たちが行った奉仕や良い行い、ささげもの、忍耐などに対する報いが与えられます。
・イエス様はご自分の民を再臨の後に来る患難から守るために来られます。黙示3:10。
イエス様はかつてなかったような大患難から私たちを救うために来られるのです。
クリスチャンたちが天に挙げられると、
この地上は人類が未だかつて経験したこともないような患難を迎えます。マタイ24:21。
それは、神様を信じず、神様に反逆するこの世に対する神様の裁きの時です。
しかし、天上では「小羊の婚宴」(黙示19:1-10)が開かれ、
天に挙げられたクリスチャンたちは、イエス様と共に幸いな時を過ごします。
2.イエス様の再臨の備え
① 再臨の時と前兆
イエス様はその時は父なる神様以外誰も知らないと言われました。マタイ24:36。
しかし、イエス様は再臨の前兆について弟子たちに教えられました。マタイ24:3-14。
・偽キリスト、偽預言者の出現。v.4,5,11。
・戦争、民族紛争、飢饉、地震の頻発。v.6,7。
・迫害、つまずき、背教。v.9,10。
・不法(犯罪、道徳低下)、愛が冷える。v.12。
・世界宣教の推進。v.14。
今日の世界情勢などを見る時、これらの出来事や現象は既に現れていると言えます。
② 再臨の備え
イエス様の再臨前の状態は、ノアの時代の洪水前の状態と似ています。マタイ24:37-41。
ノアと彼の家族は、洪水に備えて大きな箱舟を建造しました。
それと同時に、人々に神様の裁きを伝えて警告していました。Ⅱペテロ2:5。
しかし、人々は神様を無視し、この世の生活に没頭していたのです。マタイ24:38。
そしてある日突然、洪水が起こり、彼らを飲み込んでしまいました。
その時になって初めて、彼らはノアの言っていた滅びが来たことに気付いたのです。
しかし、気付いた時にはもう遅すぎました。彼らは救われることはできませんでした。
イエス様の再臨も、ある日、突然やって来るのです。
私たちもノアが洪水に備えたように、イエス様の再臨に備えなくてはなりません。
イエス様が何度も強調されたことは、「目を覚ましていなさい」です。マタイ24:42,44、25:13。
③ 十人の娘のたとえ
「目をさましていなさい」ということは「用意していなさい」ということです。
マタイ25:1-13には、再臨の備えについて、「十人の娘のたとえ」があります。
花婿が花嫁の家にやって来たら、花嫁の友人たちは花婿を出迎えます。
このたとえに登場する「十人の娘」たちは、「五人は愚かで、五人は賢かった」のです。v.2。
賢い娘たちは花婿の到着が遅れてもよいように、予備の油を十分に用意していましたが、
愚かな娘たちは何の用意もしていませんでした。v.3,4。
夜中に突然、花婿がやって来た時、賢い娘たちは灯火を灯して花婿を迎えました。
愚かな娘たちの灯火は油が足りなくなり、消えかかっていました。
愚かな娘たちは油を買いに行きましたが間に合わず、祝宴に入れてもらえませんでした。
私たちもイエス様がいつ帰って来られてもよいように油を用意し、
灯火を灯して待っていなければなりません。その油とは聖霊のことです。Ⅰヨハネ2:20,27。
今後益々困難な時代となる中、自分が固く信仰に立っているだけではなく、
全世界に福音を宣べ伝えていくために、聖霊の満たしが必要なのです。
それが、再臨のために必要な用意であり、目を覚ましているということなのです。
イエス様の再臨がいつであるかは分かりませんが、その日は近付いています。
目を覚まし、聖霊の油に満たされ、信仰の灯火を灯してイエス様を待ち望みましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師