Ⅰサムエル15章

23.8.20.

15章では、サウルが神に退けられる決定的な出来事が起こります。サウルが退けられてしまった原因は何だったのでしょうか。

1.サウルの不従順

主は、サムエルを通して、サウルにアマレク人を聖絶するように命じられました(2-3)。かつて、イスラエルがエジプトから出て、荒野を旅していた時、武装したアマレク人が何の武器も持たないイスラエル人を無差別に襲撃したのです。そのため、主は、イスラエルにアマレク人の行った悪を忘れることなく、アマレク人に必ず報復するようにと命じておられたのです(申25:17-19)。

しかし「アマレク人の王アガクを生けどりにし、その民を残らず剣の刃で聖絶した」(8)のです。「サウルと彼の民は、アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した」(9)だけでした。サウルは、主の命令に部分的には従いましたが、完全には従いませんでした。サウルが行ったことは、主の命令に背くことであり、不従順の罪でした。それで主は、サウルについて、「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ」(11)と仰せられました。

しかし、サウルは、自分が主の命令に従ったと思い込んでいました。「サムエルがサウルのところに行くと」サウルは「私は主のことばを守りました」と言いまた(13)。しかし、サムエルは言いました。「では、私の耳に入るあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」(14) サウルは答えました。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」(15) サウルは、不従順を問われても、自分の罪を認めませんでした。さらにサムエルはサウルに「あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行ったのですか」(19)と問いかけました。するとサウルは自分の正しさを主張しました。「私は主の御声に聞き従いました。主が私に授けられた使命の道を進めまた。しかし民は、ギルガルであなたの神、主にいけにえをささげるために、聖絶すべき物の最上の物として、分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです。」(20-21) ついに、サムエルはサウルに言いました。「あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(23 )

2.サウルの問題点

① 物に対する欲望に負けた

サウルとイスラエルの民がアマレク人と彼らの家畜を聖絶しなかった理由は、その「最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好ま」(9)なかったからです。15節でもサウルは「民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです」と言っています。サウルとイスラエル人は、家畜の「最も良いもの」を見て、殺すのはもったいないと思い、それらが欲しくなり、殺さずに自分のものとして取ってしまったのです。彼らは、それらのものを戦利品として、自分のものにしたいという欲望に負けたのです。

ヨシュア7章で、主は、イスラエルの民にエリコの町を聖絶するように命じました。しかし、アカンは、エリコの町にあった「美しい外套」、「銀」、「金の延べ棒」を「見て、欲しくなり、それらを取り」、自分のものとしてしまったのです(ヨシ7:21)。誘惑に負ける過程は、初めに「見て」、次に「欲しくなり」、そして「取りました」です。エデンの園で、エバが蛇に誘惑される時も同じでした(創3:6)。誘惑される時には、まず「見ること」から始まります。見えることは仕方ありませんが、好奇心をもってじっと見ることが問題です。そして「欲しくなること」へと発展し、最終的には「取ってしまう」のです。

② 人を恐れた

サウルは、サムエルに不従順の罪を指摘された時、自分の罪を素直に認めず、イスラエルの民に責任を転嫁しました。「民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。」(15) 「しかし民は、…分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです。」(21) 確かに、イスラエルの民は、家畜の「最も良いものを惜しん」で取ってしまったのでしょう。しかし、サウルは、イスラエルの王であり、イスラエルの民が主の命令に背こうとした時、それを止めさせる責任があったのです。しかし、サウルは、彼らに注意したり、止めさせることが出来ませんでした。それは、サウルがイスラエルの民を恐れたからです。サウルも最後に正直に告白しました。「私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。」(24) 国の指導者にとって、人々がどれだけ自分を支持してくれるかが重要になってきます。サウルは、イスラエルの民からの支持を得るために、イスラエルの民を厳しく責め、不従順を止めさせることが出来なかったのです。サウルの行動は、人々を恐れることから来ていたのです。

まとめ&結論

「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。…すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」(Ⅰヨハ2:15-16) 神とこの世の両方を愛することは出来ません(マタ6:24)。何よりも心から主を愛する者となりましよう(申6:5)。

人の目、人の顔色、人の言葉などを恐れると、主の言葉からブレてしまいます。しかし、主を恐れ、主の言葉に従うことを選び取って行く時、私たちの歩みは守られ、正しい方向に導かれるのです(箴29:25)。人を恐れず、主を恐れ、主の御言葉に聞き従いましょう(伝12:13)。

従順はいにえにまさるものです。主は私たちに従順を求めておられます(15:22-23)。

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