マルコ4:3-20、マタイ13:3-9,18-23
260726
イエスは、種まきの例え話をされました。ある人が種まきに出かけました。この種とは神の御言葉であり、その種の落ちる土地は聞く人の心です。良い土地に種が落ちるなら、豊かな実が実り、良くない土地に落ちるなら、何も実りません。実を実らせるとは、神の御言葉にある神の約束が実現していくことで、生きる喜びと希望が与えられたり、病気が治り元気になったり、経済的な必要が満たされたり、神の約束しておられる永遠のいのちを得ることです。どのような心で御言葉を聞いたらよいのでしょうか。
1.道端に落ちた種
初めの種は道端に落ちました。道は踏み固められているため、種は地中に入り込めず、鳥に食べられてしまいました。このような土地は御言葉をまったく受け入れない固い心、御言葉を信じない心です(マルコ4:4, 15)。
例えば、イエスは山上の垂訓で、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れと教えられました。常識的には理解できないことでしょう。しかし、イエスが十字架でなされたことを知り、神を信じるとき、聖霊によって、その御言葉に従うことができるのです。神の御言葉には神の約束がともなっています。その神の御言葉の約束が実現するとき、その素晴らしさを知ることができます(エペソ1:19)。結果的にその人の祝福になるのです(ヘブル6:7)。
2.岩地に落ちた種
2つ目の種は岩地に落ちました。種は成長し始めましたが、地中には石があり、種は根を張ることができず、枯れてしまいました。これは、御言葉を聞いて受け入れますが、御言葉のために困難や迫害が来ると、信仰を捨て去ってしまう人のことです(マルコ4:5-6, 16-17)。この石とは、自分中心の心、自我ではないでしょうか。御言葉に込められた神の御心とは違う自分の考え、自分の願い、自分の計画などが御言葉の実現を邪魔してしまうのです。
たとえば、自分が利益を得ること、自分が幸せになることの方が、御言葉が言っていることよりも大事だと考えることです。自分の利益にならず、かえって苦しくなると感じた時、あっけなく信仰を捨ててしまうのです。御言葉に従うことは、最終的には自分の幸せ(祝福)につながります。しかし、神の御言葉に従うのは、自分の利益のためではなく、主の御名が崇められ、御国が実現されるためです。ですから、御言葉に従うために苦しむこともあるのです(Ⅱテモテ2:3-4, ピリピ1:29)。
3.いばらの地に落ちた種
3つ目の種はいばらの中に落ちました。種は根を張り成長し始めますが、いばらが成長を塞いでしまいました。いばらとは、この世の心遣い、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望です(マルコ4:7, 18-19)。
確かにこの世には様々な誘惑、惑わしがたくさんあります。今日、富に対してどん欲な人々が増えています。しかし、イエスは地上に富を蓄えるのではなく、天に宝を蓄えるように教えられました(マタイ6:19-20)。また、何を食べるか、何を着るかなどと思い煩うなと教えられました(マタイ6:26-31)。さまざまな思い煩いは神の御手に委ね、御言葉を実践することが大切です(Iペテロ5:7)。神の国と神の義を第一に求めるなら、私たちに必要な物質も経済も備えられるのです(マタイ6:33)。
4.良い地に落ちた種
最後の種は良い地に蒔かれました。良い地に落ちた種は成長し、30倍、60倍、100倍の実を結びました(マルコ4:8, 20)。稲穂は、1つの種からたくさんの実が実るので、実際に何十倍にもなります。たった一つの御言葉でも、真剣に実践したとき、御言葉に伴う約束が実現し、豊かな実を実らせるのです。
良い地とは、よく耕された柔らかい土地で、石や雑草が取り除かれた土地です。これは、御言葉を聞いたとき、疑いの心をもたず、へりくだった心で御言葉に従い、一心に御言葉を守り行う人です。実を結ぶためには時間がかかるので、忍耐をもって御言葉を行っていくことが大切です。神を信頼するなら希望が与えられ、希望があるから忍耐できるのです。そういう人の人生は豊かに祝福されるのです(ヘブル6:7)。
まとめ:
私たちが御言葉を聞いて素直に受け入れ、実践することが大切です。富の惑わしや、さまざまな誘惑に惑わされずに御言葉に従い続けるなら、その御言葉に伴う約束がこの地上に実現し、神の国が広がります。さらに、私たちの人生も祝福されるのです。
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