17.8.6.

良い地に種を蒔かれる

マタイ13:1-9,18-23

私たちの人生の目的は、神様の栄光を現すことです。Ⅰコリント10:31
神様の栄光は、私たちが「実」を結ぶ者となることによって現わされます。ヨハネ15:8
では、私たちが結ぶべき実とはどのようなものでしょう。

1.私たちが結ぶべき実

① 御霊の実
まず、私たちが結ぶべき実は、「御霊の実」です。ガラテヤ5:22,23
これらは、私たちの内に備えられるべき品性であり、キリストの姿(性質)です。
ですから、良い実を結ぶということは、「キリストが形造られる」(ガラテヤ4:19)ことであり、
キリストに似た者に変えられていくということです。
周囲の人から「あなたはイエス様のようですね」と言われるなら幸いです。
これこそが、クリスチャンが霊的に成長するということなのです。

② 光の実(良い行いの実)
私たちの内に「御霊の実」が結ばれ、キリストに似た者に変えられると、
親切となり、正義を守り、嘘偽りのない生き方である「光の実」(エペソ5:9)を結びます。
逆に、エペソ5:11は、「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしない」ようにと言っています。
それは、公に人前で話したり、見せたりすることの出来ない陰での悪です。
私たちは、「良い行い」に励むように造られた神様の作品です。エペソ2:10
コロサイ1:10には、「あらゆる善行のうちに実を結び…」とあります。

③ 魂の実
私たちが「御霊の実」を結び、「光の実」を結んだ結果、「魂の実」を結ぶようになります。
イエス様が私たちを選び、任命されたのは、「あなたが行って実を結び、
そのあなたがたの実が残るため」(ヨハネ15:16)であると言われました。
その「実」とは、一人の魂が救われて永遠のいのちを持つということです。
パウロもコリントの信者のことを「私の働きの実」(Ⅰコリント9:1)であると言っています。
人々は、私たちの良い行いを見て、神様に帰って来るようになるのです。Cf.マタイ5:16

2.良い心で御言葉を聞く

私たちが霊的に成長し、実を結ぶためには、御言葉が必要です。ローマ10:17Ⅰペテロ2:2
「種まきのたとえ」で、御言葉の聞き方に注意が必要であることが教えられています。
この話に出て来る「種」は「御言葉」を意味し、土地は「心の状態」を表しています。

① 道ばた(4,19)
「道ばた」の心の状態とは、御言葉が入っていかない「堅い心」です。
不信仰によって心が堅くなってしまっているため、御言葉を受け入れられないのです。
また、無関心であったり、偏見があったり、面倒がって受け入れようとしないのです。
ですから、御言葉を聞いても、サタンがその御言葉を奪い去ってしまい、
信仰が育たず、実を結ぶことが出来ないのです。

② 土の薄い岩地(5-6,20-21)
「土の薄い岩地」の心の状態とは、「浅はかな心」です。
この人は、御言葉を選り好みし、耳障りの良い御言葉、都合の良い御言葉、
興味・関心ある御言葉、為になる御言葉、利益となる御言葉は喜んで受け入れます。
しかし、それ以外の御言葉にはあまり関心を持たず、無視してしまうのです。
この人の信仰は、「根がない」とあるように、御言葉全体に深く根ざしていませんから、
頭だけの信仰、気分だけの信仰、表面的な信仰です。
始めの内は、喜んで、熱心に、御言葉を聞き、受け入れますが、長続きしません。
信仰のための困難や迫害が起こると、躓き、熱意が冷め、信仰が失われてしまうのです。
結局、その「岩」とは、自分のエゴやプライドであると言えます。

③ いばらの中(7,22)
この「いばら」とは、「この世の心づかいと富の惑わし」のことです。
マタイ4:19には「その他いろいろな欲望」とあり、ルカ8:14には「快楽」があります。
「いばら」の地の心の状態とは、「二心」です。
この人は、喜んで、熱心に御言葉を聞き、受け入れ、霊的にも成長します。
しかし、この人の内には、この世を愛する心もあります。
やがて、世の中の心配事、富の誘惑、その他の様々な欲望や快楽が心を支配するようなり、
霊的成長を阻んでしまい、実を結ぶことが出来ないのです。
神様以外のことに心を奪われ、御言葉におろそかになる人であると言えます。

④ 良い地(8,23)
「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のこと」です。
マルコ4:20では「みとばを聞いて受け入れ」る人とあり、
ルカ8:15では「正しい、良い心でみことばを聞くと、
それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです」とあります。
「良い地」の心の状態の人は、御言葉を素直に信じ受け入れます。
それだけではなく、その御言葉を「しっかりと守り、よく耐え」ます。
私たちが聖書を学ぶのは、神様の御心を知り、神様の御心に従って生きるためです。
どのような御言葉でも素直に聞き、受け入れ、それを守り、行う人は、
霊的・信仰的に成長し、多くの「実を結ばせる」ことが出来るのです。

同じ御言葉の「種」が蒔かれても、それを受け取る心の状態によって、
成長するかどうか、実を結ぶかどうかが分かれます。
私たちの心を点検し、多くの実を結ぶ、「良い地」へと変えていただきましょう。
キリストに似た者となり、生活を通してキリストを表す者となり、
回りの人々を神様の元に導く者となりましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師