2026.8.16
前回のイザヤ40~48章では、神が捕囚の民をバビロンから解放し、帰還の道を備えられたことを見ました。しかし、人間にはさらに深い罪からの解放が必要です。49章から、救いの中心人物である「主のしもべ」が前面に現れます。
「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と嘆くシオン。 49:14しかし主は、「わたしはあなたを忘れない」と約束される。 49:15私たちは主の手のひらに刻まれている。 49:16主はイスラエルだけでなく、諸国の民の光として、救いを地の果てまで届ける。 49:6状況が変わっても、神の愛は変わりません。あなたは忘れられていません。
主のしもべは、私たちの病と痛みを担われた。 53:4私たちの背きのために刺され、咎のために砕かれた。 53:5私たちのすべての咎を、主は彼に負わせた。 53:6その苦しみは無駄ではなく、多くの人が義とされる。 53:11十字架は敗北ではなく、神の救いの勝利。罪には赦しを。傷には癒やしを。恐れには平安を。絶望には希望を。主イエスが、私たちの罪・恥・裁きを負ってくださいました。
希望が見えないところで、「喜び歌え」と主は語られる。 54:1まだ見えない時から、「天幕の場所を広げよ」と信仰へ招かれる。 54:2山々が移っても、主の恵みは私たちから移らない。 54:10「渇いている者はみな来なさい」――恵みへの招き。 55:1「主を求めよ。お会いできる間に。」 55:6主に帰る者を、主はあわれみ、豊かに赦してくださる。 55:7信仰とは、まだ見えていなくても、神の御言葉を信じて一歩踏み出すこと。
今日、主はあなたに語られます。「わたしはあなたを忘れていない。」「あなたの罪を、わたしが負った。」「渇いている者は、わたしのもとへ来なさい。」主の恵みと招きに応答していきましょう。
Filed under: 和田一喜牧師
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