ヨシュア6:1-21

26.6.7.

イスラエルの民が最初に勝ち取らなければならない町はエリコだった。イスラエルの民は、エリコの町をどのように攻め落としたのか。

1.信仰をもって主のチャレンジに応じる

「エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。」(1)エリコの町は、高く、堅固な城壁に囲まれていた。イスラエルの民は、強力な軍隊も、十分な武器も無かった。だから、難攻不落の町エリコを攻め落とすことは不可能に思えただろう。しかし主は「わたしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した」(2)と言われた。主は、ヨシュアにエリコの周りを1日1回6日間まわり、7日目は7回まわり、祭司たちが角笛を吹き鳴らした時に、一斉に大声でときの声をあげると、エリコの城壁は崩れ落ちると言われた(3-5) 。

主が命じられたことは、常識的に考えて、理解出来ない、あり得ない方法だった。もしかしたら、イスラエルの民の中には、疑いを抱く人もいたかもしれない。そこでヨシュアは、イスラエルの民に一言も喋ってはならないと命じた(10)。それは、イスラエルの民が不信仰な告白をしないためだったのではないか。

主が私たちに問いかけておられることは、私たちが出来るか出来ないかではない。主は、私たちが小さな存在で、無力な者であることを知っておられる。私たちに問われていることは、信じるか信じないか、やるかやらないか、ではないか。どんなに理解出来なくても(納得出来なくても)、不可能なことであっても、疑わず、不信仰をつぶやかず、信仰をもって、主からのチャレンジに応じるのである。ヨシュアとイスラエルの民は、信仰によって、主に従い、黙々と行進した。

2.主と共に前進する

イスラエルの民の隊列の順番は、先頭が「武装した者たち」、次に「七人の祭司たち」、そして「主の契約の箱」が続き、「しんがり」は「武装した者たち」だった(8-9)。イスラエルの民の隊列の中心にあったものは「契約の箱」だった。「契約の箱」は、主の臨在を表すものだった。主ご自身が真ん中におられた。主が共におられないなら、どんなに人間的な努力も意味がない。詩127:1-2。

私たちも「契約の箱」、主の臨在を私たちの中心に置かなくてはならない。私たちが共に集い、主を賛美する中に、主は臨在される。Cf.詩22:3。Ⅱ歴5:13-14。Ⅱ歴20:1-30。モアブ人とアモン人が南ユダ王国に攻めて来た時、主の言葉があった。「この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。ユダとエルサレムよ。恐れはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにおられる。」(17)

ヨシャバテ王は、「賛美する者たち」を「武装した者たち」の前に立てて賛美させた(21)。「彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると」、主が働き、敵を打ち負かされた(22)。「…『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。」(ゼカ4:6) 私たちも、「契約の箱」すなわち主の臨在を迎え、主と共に戦い、働こう。

3.忍耐をもって続ける

主は、イスラエルの民に「町の周囲を一周せよ。六日間そのようにせよ」、「七日目には、あなたがたは七回、町の周りを回り」なさいと命じられた。「七」という数字は、聖書では「完全」または「完成」を表す数字。これは、その完成するまで、忍耐をもってやり続けなさい、ということ。

Ⅱ列5:1-14。アラムの将軍ナアマンは皮膚病だったが、「ヨルダン川に七回身を浸した」。六回目までは何の変化もなかったが、7回目に水から上がると、「彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった」。

Ⅰ列18:41-46。預言者エリヤは「カルメル山の頂上に上り」、雨が降るように祈った。「七回繰り返した」。そして、若者が「七回目に」海の方を見に行くと、「人の手のひらほどの小さな雲が海から上がって」いるのが見えた。「しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。」

何かを新しく始めることは簡単。しかし、続けることは大変。新しいことを始めても長続きせず、途中で止めてしまったり、消えてしまうこともある。約束のものを勝ち取るためには、諦めため、途中で止めたりしないで、それが成し遂げられるまでやり続けることが必要。Cf. ヘブ10:35-38。ヤコ1:4。

4.一致する

この作戦には、イスラエルの民の一致が求められた。エリコの周りを回る時、各々ばらばらに勝手に歩くのではなく、一致して行進しなければならなかった。祭司たちも、一致して角笛を吹き鳴らさなくてはならなかった。また、「角笛の音を聞いたなら、民はみな大声でときの声をあげ」(5)なければならなかった。そして、城壁が崩れ落ちた時、「民はそれぞれ、まっすぐに攻め上り町へ上って行き、その町を攻め取」つた。そこにも一致があった。イスラエルの民は、一致して行動した。

ギデオンはミデヤン人たちと戦う時、三百人の兵士たちに「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもしなければならない。私と、私と一緒にいるすべての者が角笛を吹いたら、あなたがたもまた、全陣営を囲んで角笛を吹き鳴らし、「主のため、ギデオンのため」と言わなければならない。」(士7:17-18)と言った。

神の民が一つとなる時、主はそこに働いて、御業を現して下さる。初代教会でも心を一つにして祈りがなされ、御業が起こされた。使1:14。2:1。4:24,:31。12:12。それぞれ好き勝手に行動していては、主の働きを進めることは出来ない(マル3:24-25)。一つとなる所に主も共におられ、豊かな祝福が溢れる。詩133:1-3.

 

イスラエルの民の前にエリコの城壁は打ち崩され、エリコは占領された(20)。Cf.ヘブ11:30。主のチャレンジに信仰をもって応じ、主の臨在を迎え、主と共に戦いに出て行こう。忍耐をもって成し遂げられるまでやり続けよう。一致協力して、主の業に励んでいこう。

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