イザヤ58:6-12
2026.8.30
前回のイザヤ49~55章では、主イエスによる罪からの救いと神の恵みを見ました。
神の恵みに触れたザアカイは、生き方が変えられました。主イエスに受け入れられた彼は、貧しい人に施し、不正に取ったものを償う決心をしました(ルカ19章)。
良い行いをしたから救われたのではなく、救われたから生き方が変わったのです。
1.主はすべての人を礼拝へ招かれる イザヤ56章
神の救いはイスラエルだけで終わりません。異国の民や宦官など、これまで「自分は外側にいる」と感じていた人々にも、主は居場所を与えると約束されました(56:3、5)。
「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる。」56:7)
主は、すでに集められた者たちに、さらに人々を集めて加えられます(56:8)。
私たちも、教会の外にいる人々を主の礼拝へ招く者となりましょう。
2.真の礼拝は、生き方に現れる イザヤ57~58章
主が求めておられるのは、宗教的な行為だけではありません。弱い人を顧み、虐げられた人を助け、日常生活の中で神の愛を表すことです(58:6–7)。 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。」(ローマ12:1)
真の礼拝は日曜日だけで終わりません。家庭、職場、学校、毎日の言葉や態度の中に現れます。そして主は約束されます。
「あなたの光が暁のように輝き出る。」(58:8)
「あなたが呼ぶと、主は答え……『わたしはここにいる』と主は言う。」(58:9)
「主は絶えずあなたを導いて……あなたは、潤された園のようになる。」(58:11)
毎日の生活そのものを、主への生きた礼拝としてささげましょう。
3.主に立ち返り、御霊によって生きる イザヤ59章
「主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」(59:1)問題は神の力ではなく、罪が神との間を隔てていることでした(59:2)。
しかし民はやがて、「私たちの背き」「私たちの罪」と、自分たちの罪を認めます(59:12-13)。ここから回復が始まります。
そして主は、「シオンには贖い主として来る。」(59:20)と約束されます。
さらに主は、ご自分の霊とことばが民から離れないという契約を与えられます(59:21)。
救いの恵みに応答し、私たちの毎日の歩みを主にささげていきましょう。
Filed under: 和田一喜牧師

