マタイ4:1-11
26.9.13.
(前回の続き)
3.悪魔に妥協して目的を達しようとする誘惑(悪魔を試す誘惑)
悪魔は、1回目の誘惑、2回目の誘惑に失敗して、一旦は引き下がったが、諦めることなく、しつこく、再びイエスを誘惑するために現れた。悪魔は、何度でも誘惑するために私たちに近づいて来る
悪魔はイエスを「非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華」(8)を見せた。それは、恐らく実際に見たというよりも、幻の中で見たのだろう。ルカ4:5には「一瞬のうちに世界の全ての国々を見せて」とある。悪魔がイエスに見せたものは、世界中の国々の繁栄であった。それらは権力と富と名誉というこの世の華々しさで、魅力的に輝いて見えただろう。
悪魔はイエスに「もしひれ伏してわたしを拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」(9)と言った。ルカ4:6では「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから」と言われている。新約聖書では、悪魔は「この世を支配する者」(ヨハ12:31、14:30)、「この世の神」(Ⅱコリ4:4)、「空中の権威を持つ支配者」(エペ2:2)、「この暗闇の世界の支配者」(エペ6:12)と呼ばれ、「世全体は悪い者の支配下にある」(Ⅰヨハ5:19)と言われている。アダムが罪を犯した結果、本来アダムに与えられていた地を従える権威は取り去られ、悪魔がこの世界を支配することになってしまった。
それゆえ、「この世のすべての王国とその栄華」は悪魔の支配下にある。しかし、悪魔の活動は神に赦された範囲に限られている。Cf.ヨブ1:7-12。
イエスは、自分の力を乱用する誘惑も、神の力を利用する誘惑も退けたが、最後の誘惑は、この世の権力と富と名誉を手に入れるために、悪魔の前にひれ伏し拝むという誘惑であった。何の苦労もせずに、ただ一度、悪魔をひれ伏すだけで、この世の全てを手に入れられるという条件は、非常に魅力的な話と言えるかもしれない。イエスにとっては、十字架の苦しみを通ることなく、すぐに簡単に全世界の王となれるという近道であった。
これまでの二つの誘惑においても、共通する点は、苦労することなく、すぐに簡単に王となれる、欲しいものを手に入れられるということ。しかし、悪魔が提案してきたことは、偶像礼拝の罪を犯すことであった。一度だけでも、形だけでも悪魔の言葉に従うなら、悪魔に敗北してしまうことになる。どんなに望ましい良い結果をもたらすとしても、悪魔を伏し拝むことは絶対に出来ない。
この悪魔の誘惑に対して、イエスは非常に厳しい言葉で応じた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(10) イエスは、申6;13の御言葉をもって悪魔の誘惑を退けた。「あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。」
この御言葉は、私たちにとっても非常に重要な言葉であり、悪魔の誘惑に対抗するための最良の武器となる言葉である。ただ主を恐れ、主にだけ仕えるということは、他の何ものにもひれ伏さず、従わないということ。悪魔をひれ伏し拝むということをしようとは誰も考えていない。しかし、いつの間にか自分の権力、富、名声を得るために、
主を礼拝することや、主に仕えることが疎かになってしまっていないか。
自分の力を見せつけたい。あの人よりも上になりたい。人に認められ誉められたい。
もっと豊かになって、あれも欲しい、これも欲しい。あれもこれもしたい。今すぐ欲望を満たしたい。そんな誘惑に屈してしまう時、私たちは神を礼拝し、神に仕えることを忘れ、私たちは悪魔をひれ伏し拝んでいるのである。
どんなに大きな権威が与えられるとしても、どれほど多くの富が得られると約束されていても、どれほど人々から賞賛を受けることでも、主を礼拝し、主に仕えることが出来なくなってしまうなら、それは神からのものではなく、悪魔の誘惑なのではないか。
「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」(Ⅰヨハ2:15-16)
イエスは悪魔の誘惑に打ち勝った。悪魔は、自分の目的を果たすことが出来ずイエスから離れていった。真理の御言葉に従う人に対して、偽り者の悪魔は何の力も発揮することが出来ない。御言葉こそが誘惑に対する勝利の秘訣である。イエスは悪魔の誘惑に勝利し、全ての準備が整い、イエスは公の働きを始めた。イエスは、神の御子であるにも関わらず、人の姿を取って仕え、十字架に至るまで父なる神に従い仕えることを選び取った。創造主なる神こそが唯一の神であり、唯一の基準であることを覚え、この方を愛し、礼拝し、仕えていこう。申6:4-5。
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