マタイ4:1-11

26.8.9.

(前回の続き)

 

2.神を試し栄光を得ようとする誘惑

今度は、「悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせ」(5)た。「聖なる都」とは、イスラエルの都エルサレムのこと。ヘロデ大王が建てた「神殿の屋根の端」には、「ラッパの場所」とも呼ばれる場所があった。そこはエルサレム全体を見下ろせる場所で、祭司たちが安息日を知らせるラッパを吹いた。悪魔は、イエスにそこから「下に身を投げなさい」(6)と言った。神殿の高さは約20~30mだったと言われ、飛び降りたら即死してしまう。

前回の悪魔の誘惑の際に、イエスは御言葉をもって悪魔の誘惑を退けたが、今回は、悪魔も詩91:11‐12の御言葉を引用して誘惑して来た。悪魔も御言葉を知っていて、御言葉を利用して誘惑して来ることがある。悪魔は、御言葉を用いて、いかにも自分が正しいことを言っているように言っている。しかし、悪魔の御言葉の使い方は間違っている。自分に都合の良いように御言葉を使って、自分の考えや行動を正当化しようとする。また、都合の良いように、御言葉の一部が取り除かれたり、付け加えられたりしている。悪魔の引用には詩91:11にある「すべての道で」が入っていない。そもそも、詩91:11‐12の御言葉は、「いと高き方の隠れ場に住む者」(詩91:1)、すなわち神に信頼する者は守られるという約束。「神を試してみなさい」とは書いてない。敢えて危険を冒して、神の守りがあるかどうか試すようにという勧めではない。このように、悪魔が引用した御言葉は不正確であり、本来の意味が曲げられている。

だから、私たちは、御言葉を正確に覚えていなければならない。エバも、神の言葉を正しく覚えず、理解していなかったため、蛇に騙された(創3:1-5)。聖書の一節だけを取って、自分の考えや行動を正当化するために利用してはならない。御言葉を正しく理解するためには、その前後をよく読んで、文脈の中から正しく理解し、聖書全体を通して語られている神の御心に従うことが大切。

第一の試みは、「自分の力を試しなさい」という誘惑だった。第二の試みは、「神を試しなさい」という誘惑。自分の力で奇跡を起こすことを拒否したイエスに対して、今度は神を利用して奇跡を起こすようにと誘惑した。「あなたが神の子なら、神はあなたを愛し、何があっても守って下さる。今、神殿の頂から身を投げてみなさい。聖書に約束されているように、神が御使いを用いて、あなたを守られるか試してみなさい」と。

イエスは「あなたの神である主を試みてはならない」(7)とも書いてあると、申命6:16の御言葉をもって悪魔の誘惑を退けた。この御言葉はイスラエルの民が「マサ」で神を試みたことが背景となっている(出17:1-7)。イスラエルの民は、荒野で飲み水がなくなってしまった。彼らは喉が渇き、モーセに不平を言い、「われわれに飲む水を与えよ」と言い争った。「神が共にいるなら、今すぐ水を出して、その証拠を見せてほしい」ということ。モーセは神に「私はこの民をどうすればよいのでしょう」と訴えた。神は、モーセに杖で岩を打つなら、岩から水が出て来ると言われた。モーセが神に言われた通りにすると、岩から水が流れて出て来た。その地は「マサ」と名付けられた。「マサ」とは「試み」という意味。「「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。」「神がいるなら証拠を見せてくれ。そうすれば信じるから」という試みは禁じられている。

また、この誘惑は、大勢の人々の見ている前で奇跡を起こして、自分が神の子キリストであることを人々に証明するようにという誘惑でもあった。エルサレムの神殿が選ばれたのは、そこには多くの人々が集まる場所だから。「神殿の屋根の端」から飛び降りて、御使いたちに助けられるのを人々が見たら、イエスは称賛を受け、すぐに簡単にキリストとして信じられ、受け入れられる。それは、御言葉の約束を利用して、自分の栄光を表そうとする誘惑と言える。人々に神の力を示すことは、これからの働きに有益であるような印象を与える。しかし、それは神の御心ではなく、神の方法ではなかった。イエスは、神の守りに信頼し、神に従う道、十字架の道を選んだのであった。

 

悪魔も御言葉を利用して誘惑して来ることがある。しかし、悪魔の御言葉の引用は、正確さを欠き、本来の意味が曲げられている。聖書の一節だけを取って、自分の考えや行動を正当化するために利用してはならない。御言葉はその前後をよく読んで、その文脈の中から正しく解釈し、聖書全体で示されている神の御心に沿って理解しよう。

イエスは、神を試すようにと悪魔から誘惑された。しかし、イエスは「あなたの神である主を試みてはならない」と、御言葉を引用して悪魔の誘惑を退けた。イスラエルの民は「マサ」で「私たちの中におられるのか、おられないのか」と神を試みたが、私たちもこの世の人生という荒野において、様々な問題や困難に直面する時に、神の存在と力を疑ってしまうような誘惑がある。しかし、「あなたの神である主を試みてはならない」。どんな時でも神に信頼し、信頼する者に約束された守りと助けを待ち望もう。単に早く簡単に欲しい物を手に入れられるような方法に従うのではなく、神の御心、神の方法、神に従う道を選んでいこう。詩91篇。

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