2026.9.20
前回のイザヤ56~59章では、救われた者の生き方を見ました。真の礼拝は生き方に現れ、罪を認めて主に立ち返り、聖霊と御言葉によって歩みます。そして60章から、主の光と回復の約束が力強く語られます。
「起きよ。輝け(光を放て)。あなたの光が来たからだ。」(60:1)地を闇が覆っても、主の栄光はあなたの上に現れる(60:2)。神の光は自分だけのためではなく、周りの人々を主へ導くために輝く(60:3)。信仰とは問題がなくなってからではなく、暗闇の中でも主の光を信じて立ち上がること。家庭でも、主の御言葉と信仰を次の世代へ伝えていく(申命記6:4、7)。
「神である主の霊がわたしの上にある」(61:1)。主は良い知らせ、癒やし、解放、自由を与えられる。主は、灰の代わりに頭の飾り、嘆きの代わりに喜び、憂いの代わりに賛美を与えてくださる(61:3)。主イエスはこの預言をご自分についての御言葉として宣言された(ルカ4:16–21)。また傷ついた人々を実際に癒やされた(ルカ4:40–41)。回復された者は「義の樫の木」とされ、今度は壊れたものを建て直す者として用いられる(61:3–4)。私たちは主に癒やされ、今度は誰かを慰め、励まし、回復へ導く者となる。イエスは「あなたがたは世の光です」と言われた(マタイ5:14)。
主はご自分の民を「新しい名」で呼ばれる(62:2)。「見捨てられた」「荒れ果てた」ではなく、「わたしの喜びは彼女にある」と呼ばれる(62:4)。私たちは過去や失敗によってではなく、神が私たちを何と呼んでおられるかによって生きる。見張り人のように、神の約束が実現するまで、黙らず祈り続ける(62:6–7)。
結び「起きよ。輝け(光を放て)。」― イザヤ60:1
主の光が私たちの上に輝いているから、立ち上がりましょう。主に回復され、新しい名をいただき、家庭・教会・職場・地域の中で、主イエスの光を輝かせる者となりましょう。
Filed under: 和田一喜牧師
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