15.5.24.

渇いている者は来て飲みなさい

ヨハネ7:37-39

「ペンテコステ」は「五旬節」というユダヤ教の三大祭の一つでした。
「五旬節」とは、「50日目の祭日」という意味で、
大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われました。レビ23:15~。
また、7週間経過するところから「七週の祭り」とも呼ばれました。出エ34:22、申命16:10。大麦の収穫の終りを意味し(申命16:9)、小麦の収穫となります。出エ34:22。
それゆえ、「刈り入れの祭り」(出エ23:16)、「初穂の日」(民数28:26)とも呼ばれています。
キリスト教会にとって、「ペンテコステの日」は「聖霊降臨祭」とも言われ、
弟子たちに聖霊の注ぎと満たしが与えられ、教会が誕生した記念すべき日なのです。 続きを読む

15.5.17.

主に仕えたマグダラのマリヤ

ルカ8:1-3

イエス様の12人の弟子は常にイエス様と一緒に行動していました。
また、大勢の無名の女性たちがイエス様に従い仕えていました。
その女たちの中で最初に挙げられているのが「マグダラの女と呼ばれるマリヤ」でした。
「マグダラ」はガリラヤ湖北西部にあった町で、彼女はこの町の出身者だったのでしょう。
マグダラのマリヤについては、聖書にはあまり詳しく説明されていません。
しかし、マリヤはイエス様の十字架の死と復活という重要な場面に立ち会っていました。
「マグダラの女と呼ばれるマリヤ」とは、どのような女性だったのでしょう。 続きを読む

15.5.10.

弟子と呼ばれたドルカス

使徒9:36-42

ヨッパという港町に「ドルカス」という女の弟子がいました。
「ドルカス」はギリシャ語名で、ユダヤ名は「ダビタ」で「かもしか」という意味です。
ユダヤ人と異邦人が住む地域では、ユダヤ人の多くがへブル語かアラム語の名前と、
ギリシャ語かラテン語の名前を持っていました。
ドルカスは人々から愛され、慕われていました。どのような女性だったのでしょうか。 続きを読む

15.5.3.

喜んで仕える霊に支えられる

詩篇51:12

詩篇51篇はダビデの悔い改めの詩篇です。Ⅱサムエル11:1-12:15が背景となっています。
そして、この詩篇の中で、ダビデは次のように言っています。
「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」51:12。
喜びをもって主に仕えるにはどうしたらよいのでしょうか。 続きを読む

15.4.19.

我が心の目を開いて下さい

ルカ24:13-35

イエス様が復活された日、クレオパともう一人の弟子が、
エルサレムから11km離れたエマオへと向かって暗い気持ちで歩いていました。
しかし、その日の夜には、その同じ道を大きな喜びと希望をもって戻って行ったのです。
このエマオへの道中、彼らに何が起こったのでしょう。 続きを読む

15.4.12.

舟の右側に網を降ろす

ヨハネ21:1-11

イエス様が復活された後、
ペテロは他の弟子たちと共にティベリヤ湖(ガリラヤ湖)に行き漁をしていました。
彼らは一晩中漁をしましたが、何も獲れませんでした。
そして、弟子たちは心身ともに疲れ果て夜明けを迎えました。
その時、イエス様が岸辺に立っておられ、弟子たちに言われました。
「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」(6)
弟子たちは言われるままに「舟の右側」に網を下ろしてみました。
「すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」(6)ほどでした。
その網は「百五十三匹の大きな魚でいっぱい」(11)でした。
続きを読む

15.4.5.

復活の主による希望

ヨハネ11:25,26

イエス様が死から復活し、生きておられるという事実は、
絶望のどん底にあった弟子たちに希望を与え、喜びと力を与えました。
イエス様の復活は私たちにどのような希望を与えるのでしょうか。 続きを読む

15.3.22.

エルサレムから地の果てまで

使徒1:8

この使徒1:8は「使徒の働き」のテーマであり、「使徒の働き」の構成を表しています。
そして、使徒1:8はイエス様が教えて下さった福音宣教の戦略でもあるのです。
イエス様は弟子たちに、「エルサレム」すなわち彼らの地域、
「ユダヤ」すなわち彼らの国、「サマリヤ」すなわち国内の他の文化圏、
そして「地の果て」すなわち全世界に福音を届けるようにと言われたのです。
こように、イエス様の最終的な目標は世界宣教でした。 続きを読む

15.3.15.

我に死に主に生きる

マルコ10:17-31

ある時、イエス様のもとに「ひとりの人が走り寄って」(17)来ました。
この人はマタイ19:20によると「青年」であり、ルカ18:18では「役人」と言われています。
ですから、彼は若くして役人となった裕福な人、成功した人であったようです。
また、この人は宗教的にも熱心な人であったことが、彼の質問から伺えます。
彼はイエス様に天国に入る方法を尋ねるためにやって来ました。
しかし、結果は悲しみながら立ち去ることになってしまったのです。
なぜそのようになってしまったのでしょう。この人の問題点は何だったのでしょう。 続きを読む

15.3.1.

聖霊の風を迎えよう

ヨハネ3:8

イエス様はニコデモに人が新しく生まれ変わるのは、
聖霊の働きによるのであって、それは「思いのままに」吹く「風」のようであり、
それがどのようにして起こるのかということは誰も分からないのだと語られました。
聖書の中で「風」も「息」と同様に「聖霊」を表しています。
聖霊は人格をもった神様であり、意思や感情を持たれ、
「思いのままに」、「みこころのままに」(Ⅰコリント12:11)働かれるお方なのです。
では、聖霊はどのようなところに臨まれ働かれるのでしょう。 続きを読む